千年伊勢山台官衙遺跡|川崎市高津区の名所旧跡

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千年伊勢山台官衙遺跡|弟橘姫にまつわる伝承

千年伊勢山台官衙遺跡の概要

千年伊勢山台官衙遺跡は、川崎市高津区にある名所旧跡です。千年伊勢山台官衙遺跡は、武蔵国橘樹郡の郡衙(役所)跡に比定される遺跡で、橘樹官衙遺跡群の一部として、影向寺遺跡とともに国史跡に指定されています。伊勢山台から影向寺にかけて2棟以上の掘立柱建物跡などが発見され、当地からは官衙創設期の正倉群が発見されたことから、郡庁(政庁)は発見されていないものの、当地周辺が郡衙跡ではないかといいます。なお、 当地周辺には(国指定史跡から漏れているものの)千年伊勢山台北遺跡や、伊勢山台遺跡・伊勢山台東遺跡・千年蟻山遺跡などが密集、また橘樹郡の公的な寺(郡寺)とされる影向寺があります。

千年伊勢山台官衙遺跡
千年伊勢山台官衙遺跡の概要
名称 千年伊勢山台官衙遺跡
みどころ 国指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 川崎市高津区千年 たちばな古代の丘緑地
備考 橘樹官衙遺跡群の一部




千年伊勢山台官衙遺跡の由緒

千年伊勢山台官衙遺跡は、武蔵国橘樹郡の郡衙(役所)跡に比定される遺跡で、橘樹官衙遺跡群の一部として国史跡に指定されています。伊勢山台から影向寺にかけて2棟以上の掘立柱建物跡などが発見され、当地からは官衙創設期の正倉群が発見されたことから、郡庁(政庁)は発見されていないものの、当地周辺が郡衙跡ではないかといいます。なお、 当地周辺には(国指定史跡から漏れているものの)千年伊勢山台北遺跡や、伊勢山台遺跡・伊勢山台東遺跡・千年蟻山遺跡などが密集、また橘樹郡の公的な寺(郡寺)とされる影向寺があります。

川崎市教育委員会掲示による千年伊勢山台官衙遺跡について

武蔵国橘樹郡衙推定地
橘樹郡衙とは、奈良・平安時代の武蔵国橘樹郡の役所のことです。古代の橘樹郡は現在の市域にほぼ相当しますので、古代の川崎市役所といってもいいでしょう。川崎市教育委員会では、平成10年(1998年)度から6年をかけて橘樹郡衙の所在を確認するための発掘調査を行ない、伊勢山台から影向寺方面にかけて橘樹郡衙に関連すると考えられる42棟以上の掘立柱建物跡などを発見しました。
なかでも、ここは官衙創設期の正倉群が発見された重要な区域で、平成18年(2006年)度に土地を買収・借用して平成19年度に緑地として整備し、平成20年4月に千年伊勢山台官衙遺跡として川崎市重要史跡に指定され、将来にわたって建物跡を地下に保存し活用していくことになりました。(川崎市教育委員会掲示より)
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解説
橘樹郡衙推定地では、稲などを保管したと考えられる総柱建物21棟や郡の役人が仕事をしていた官舎などとおもわれる側柱建物20棟以上・床束建物1棟、区画や目隠しなどのための塀8条・溝8条とともに、土師器・須恵器・円面硯・鉄製刀子など、当時使われていた土器や文房具類などが発見されています。ただし、郡衙の中心的建物である郡庁(政庁)は、まだ発見されていません。これらの建物跡は、約150年の間にⅠ期(7世紀後半から8世紀初頭)-Ⅱa期(8世紀前半から中葉)-Ⅱb期(8世紀中葉から後半)-Ⅱc期(9世紀前半)と移り変わっています。Ⅰ期は、品の字配置の倉庫群のように建物はすべて主軸を北から西に30度ほど傾けて建てられているのが大きな特徴です。それがⅡa・b期になると、建物は軸や配列を東西南北の方位に合わせてきれいに並べられ、官衙が大規模に整備されます。そしてⅡc期になると建物は小さくなって数も減っていき、9世紀の中頃には官衙としての役割を終えたと考えられます。
橘樹郡推定地の北西には古墳時代の川崎を支配していた豪族の墓である西福寺古墳や馬絹古墳などの梶ヶ谷古墳群があり、その豪族の拠点が橘樹郡衙推定地周辺ではないかと考えられます。影向寺境内の発掘調査では、影向寺が創建される7世紀末以前に建てられた豪族の館と考えられる掘立柱建物跡も発見されています。豪族は後の律令体制のもとでも郡司となって館の近くに橘樹郡衙と橘樹郡の公的な寺(郡寺)である古代の影向寺を造営して、引き続いて古代の川崎を支配したのではないかと考えられています。(境内掲示より)


千年伊勢山台官衙遺跡の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 神奈川県神社誌