影向寺。川崎市宮前区にある天台宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

影向寺。聖武天皇の勅命により建立、多摩七薬師霊場、稲毛七薬師

影向寺の概要

天台宗寺院の影向寺は、威徳山月光院と号します。影向寺は、天平11年(739)光明皇后が病気のおり、聖武天皇は夢告で武蔵国橘樹郡橘郷に霊石のあることを知り、高僧行基を使わし祈願させたところ、皇后の病気も快癒したことから、聖武天皇の勅命により、翌年(740)当地に創建したといいます。往時には十二の塔頭、数多くの末寺を擁した本寺格の寺院だったといいます。多摩七薬師霊場2番、稲毛七薬師2番、都築橘樹酉年地蔵尊霊場17番です。

影向寺
影向寺の概要
山号 威徳山
院号 月光院
寺号 影向寺
住所 川崎市宮前区野川419
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



影向寺の縁起

影向寺は、天平11年(739)光明皇后が病気のおり、聖武天皇は夢告で武蔵国橘樹郡橘郷に霊石のあることを知り、高僧行基を使わし祈願させたところ、皇后の病気も快癒したことから、聖武天皇の勅命により、翌年(740)当地に創建したといいます。往時には十二の塔頭、数多くの末寺を擁した本寺格の寺院だったといいます。

新編武蔵風土記稿による影向寺の縁起

(上野川村)影向寺
村の艮の方にあり、當寺あるをもて字をも影向寺臺と呼べり、境内は即寺領五石の内なり、抑當寺は行基菩薩開闢の古刹にして、醫徳山月光院と號せり、天台宗多磨郡府中領深大寺の末山なり、古は榮興寺と書して後養光寺と改めたり、然るに萬冶年中回禄の時、本尊堂前の石上にとどまりてより、今の如く向寺に改めしと云、本堂八間四面南向なり、本尊行基菩薩の作る所の薬師の像は、今頭ばかりを存す、再興の本尊は長五尺許の坐像なり、是は慈覚大師の作と云、日光月光の二立立像各五尺五寸、是も慈覚大師の作なりと、縁起の略に云、當寺は聖武天皇の御願によりて、行基菩薩開基せり、其由来を尋るに天平十一年九月十二日の頃より、皇后俄に御悩ありしにより、帝も御心に薬師如来に御祈願あり、明年二月十二日の夜御夢の告ありしかば、やがて四月八日此地に勅使を立られけるに、果して霊石ありければ、帝御心にたのみ給ひ、御祈願ありしに、果して皇后の御悩御平癒ましませしにより、ここに於て當所に伽藍を御建立ありて、薬師佛を彫刻せしめられて供養ありける、頓て寺領として御橘樹郡を残らず御寄附ありて、伽藍堂宇つひに天平十二年十一月に功竣りしかば、開山行基勅使と共に帰洛せり、遥の後清和天皇のまだ皇子にてましましける時、惟高親王と帝位を争ひ給ひける時、慈覚大師の夢想によりて當所へ御祈願ありて、御望み空しからざりしかば、天安元年勅使下向あり、又大師に命じて薬師佛一軀を彫刻せしめ給ひ、明る戊寅の秋七堂伽藍の御再建落成して、頗観美をなせり、ここに於て醫王山と改て威徳山とす、ここに慈覚大師彫刻の薬師を同き八月當寺へ安置せしめんとして、駿河國青島の里に一宿す、其夜かの本尊忽失ひて見えず、盗賊などのしわざにやと思ひしに、さはなくして當山靈石の上に現し給ふ、ここに於て諸人の渇仰大方ならず、靈石を名付て影向石といひ、寺をも影向寺と改めたり、叡感の餘り元の如く橘樹一郡を寺領とし、其餘江州蒲生郡を御寄附ありしと云、故に當山は聖武文徳清和三代の勅願所にして、行基菩薩を開山とし、再興は慈覚大師なりと云、縁起に載る所かくの如くにして、尤妄誕にわたる事多くしてうけかふべからず、されども古の盛なりし事は論なかるべし、今も近邊の土中より古瓦を得ること多し。是又伽藍の舊跡たるの一證とすべし。
鐘楼。本堂に向て左にあり、鐘径二尺六寸高四尺六寸、銘文あり。(銘文省略)
影向石。堂に向ひて右の方にあり、四方へ垣を廻らして猥りに人の近づくことを許さず、石は六尺餘に四尺許にして、高さ一尺八寸許、中に僅ばかり凹き所ありて水を堪へたり、此水たとへ汲とるといへども、一夜の間に又元の如く水湧出すと云、石性色白くして青き所もあり、今世燧に用る石の如し、苔むしていかにも古よりここにありしものと見ゆ。縁起に云所は天平年中此地開闢の時、帝の御夢に入其後此石の水中より、しばしば龍燈あがりし事を初めとして、此水の奇特をさまざまに記せり、元より妄誕にして取にたらず、今参詣の諸人竹筒の内へ此水を盛てかへり、眼病及び諸病に用ひて験ありと云。
影向石碑(碑文省略)
白山山王合社。本堂の艮にあり、僅なる祠なり、傍に銀杏古木あり、圍一丈八尺許。
十王堂。本堂に向て右の方にあり、二間半四方閻魔の像長三尺、餘の九軀は長一尺。
塔頭旧跡。古は十二寺ありて各薬師の十二神一體づつ安置せしが、いつの頃か皆廢して其跡だに知らざるもの多し、寺名左に載す。
(塔頭)金剛寺。
當寺の西の方にありしと云、今其跡は畑となれり、本尊は不動にして十二神の内寅の神を祀れり。
(塔頭)金剛院
卯の神を祀れりと云、今は舊蹟もいつかたなることを傳へず、下並に同じ
(塔頭)東光院
辰の神を祀る。
(塔頭)福聚院
巳の神を祀る
(塔頭)西蔵寺
午の神なり。観音を本尊とせり、今村内の聚海山西蔵寺は天台宗にて、しかも正観音を本尊とするときは、是則古へ影向寺の塔頭にてありしも知るべからず、然れども数度の回禄に記録を失ひたれば、今より考ふるによしなし。
(塔頭)慈眼院
未の神を祀る
(塔頭)華蔵院
申の神を祀る
(塔頭)西光院
酉の神を祀る
(塔頭)西明寺
本尊は大日なり、戌の神を祀る、今小杉村西明寺も大日を本尊とす、且昔は隣村有馬村にありしと云ときは、若此西明寺の事なるも知るべからず、されどかの寺は真言宗なり、もししからんには後に改宗せしものなるべし。
(塔頭)正覺院
亥の神を祀る
(塔頭)常楽院
子の神を祀る
(塔頭)安養院
丑の神を祀る(新編武蔵風土記稿より)

川崎市教育委員会重要文化財保存会掲示による影向寺の縁起

当寺は、天台宗に属しています。縁起によれば、天平十一年(七三九)光明皇后がご病気のおり、聖武天皇は夢告で武蔵国橘樹郡橘郷、すなわちこの地に霊石のあることを知り、早速、当時の高僧行基を使わし祈願させたところ霊験あらたかで、皇后のご病気も快ゆされたという。そして聖武天皇の勅命により、この地に伽藍がそびえたのは、その翌年のことであると伝えています。事実、境内から採集された古瓦の中には、奈良時代のものが含まれており、当寺の創建が縁起に近いことがわかります。
境内の安置堂内には、当寺が古刹であることをうらづける数多くの文化財が所蔵されています。
重要文化財に指定されている、本尊の木造薬師如来坐像(欅材)と兩脇侍立像(桜材)の三躯は一木造で、平安時代後期の作品です。
風格のあるおだやかな表情とあふれる量感が特徴的です。この本尊には、木造二天立像二躯(平安時代後期)と木造十二神将立像十二躯(室町時代)が眷属として侍立しています。また、木造聖徳太子立像一躯(室町時代)もあり、いずれも川崎市重要歴史記念物に指定されています。
薬師堂は、江戸時代初期の万治年間(一六五八〜一六六〇)に火災で失い、その後まもなく復興したと伝えられているもので、現在の薬師堂がそれにあたるものとおもわれます。建立の時期は建築様式上の特徴から、寛文頃(一六六一〜一六七二)のものとされております。
境内の東南隅にある影向石は、縁起でいう霊石にあたるものでしょうが、その実際上の用途は、塔の心礎であろうといわれています。また、江戸時代の民衆が本尊によせてきた信仰を物語る絵馬や昔話の舞台となった乳を乞う母親が祈願したイチョウの大木など、当寺にかかわる歴史的な話題は数多く伝えられています。(川崎市教育委員会重要文化財保存会掲示より)

川崎市教育委員会掲示による影向寺薬師堂の縁起

影向寺薬師堂
影向寺は、奈良時代の天平12年(740)、聖武天皇の命を受けた僧行基によって開創されたと伝えられていますが、近年の発掘調査の結果、創建の年代は白鳳時代末期(7世紀末)にまで遡ることが明らかになりました。現在の薬師堂は、創建当時の堂宇とほぼ同じ位置にあり、江戸時代中期の元禄7年(1694)に建立されました。棟梁は橘樹郡稲毛領清沢村(現在の高津区千年)の大工・木嶋長右衛門直政です。
薬師堂の規模は方5間で、寄棟造の茅葺(現在は銅板葺)の屋根をあげ、正面1間に銅板瓦欅葺の向拝を付けています。内部は、前面2間を信徒の入る外陣、後方3間を神聖な空間である内陣、その両側を脇陣とし、特に、内陣・外陣・脇陣の境を中敷居と格子によって厳重に結界するのは中世以来の密教本堂の形式を伝えるもので、薬師堂の大きな特徴です。また、堂の形式・建具・軒などの外観の基本を和様としながらも、柱上部などに禅宗様の意匠を採用しています。
薬師堂は、間口3間の厨子(元禄7年造立)などとともに、昭和52年8月19日、神奈川県の重要文化財に指定されました。(川崎市教育委員会掲示より)

境内石碑による影向寺阿弥陀堂の縁起

阿弥陀堂建立記念之碑
夫レ阿弥陀堂ハ弥陀如来ノ尊像ヲ安置シ奉ル堂宇。同如来ハ現世ヲ去ル西方十万億土ノ極楽浄土ニテ法ヲ説ク仏ナリト云フ。
当山ハ国宝薬師如来三尊像ヲ安置シ奉ル薬師堂ヲ以テ根本道場トナセドモ尚弥陀ノ来迎ヲ庶幾ワンガタメニ方丈ニ本尊ヲ安置シ奉ル。幾星霜ヲ経タル方丈朽損セルヲ以テ新タニ阿弥陀堂建立ノ議アリ。仍リテ十方ノ檀信徒、当寺興隆ノタメニ浄財ヲ喜捨シ堂舎ノ新造ヲ発願、昭和五十五年八月其ノ功成ル。更ニ有徳者アリテ西方浄土ノ様ヲ進メシガ同五十八年ニ至リ諸事業ヲ成就セリ
茲ニ落慶供養ヲ相営ミ弥陀ヲ讃仰シ当山有縁ノ檀信徒ニ諸天善神ノ冥護ヲ祈ル。併セテ来由ヲ記シテ後世ニ伝フル者也
維時昭和五十八年十月二十三日
威徳山影向寺第三十二世妙照(境内石碑より)


影向寺所蔵の文化財

  • 木造薬師如来坐像と兩脇侍立像(重要文化財)
  • 薬師堂(神奈川県重要文化財)

影向寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿