五所塚と権現台遺跡|川崎市多摩区の名所旧跡

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五所塚と権現台遺跡|縄文時代中・後期の集落跡

五所塚と権現台遺跡の概要

五所塚と権現台遺跡は、川崎市多摩区にある名所旧跡です。五所塚と権現台遺跡は、円墳形の塚が5つ並んでいたことから古くから知られ、新編武蔵風土記稿によれば「音が鳴る仕掛けの銀杏ほどの大きさの円形の真鍮」が石棺から出土したと記載しています。昭和33年(1958)の発掘調査によって、当地には縄文時代中・後期の集落跡が発見され、平面形が五角形という特異な形状をした縄文中期の竪穴住居跡や、男根を模した二本の石棒を含む配石遺構があったことがわかり「権現台遺跡」と名付けられたとのことです。

五所塚と権現台遺跡
五所塚と権現台遺跡の概要
名称 五所塚と権現台遺跡
みどころ -
区分 名所旧跡
住所 川崎市多摩区長尾1-1-6五所塚第1公園
備考 -




五所塚と権現台遺跡の由緒

五所塚と権現台遺跡は、円墳形の塚が5つ並んでいたことから古くから知られ、新編武蔵風土記稿によれば「音が鳴る仕掛けの銀杏ほどの大きさの円形の真鍮」が石棺から出土したと記載しています。昭和33年(1958)の発掘調査によって、当地には縄文時代中・後期の集落跡が発見され、平面形が五角形という特異な形状をした縄文中期の竪穴住居跡や、男根を模した二本の石棒を含む配石遺構があったことがわかり「権現台遺跡」と名付けられたとのことです。

新編武蔵風土記稿による五所塚と権現台遺跡について

(長尾村)墳墓五ヶ塚
小名神木谷にあり、五つながら並べり、長尾景虎及従者の墳墓なりと云傳ふれども、景虎は天正六年越中春日山の城にて歿せしこと世にしる所、別にゆへある人の塚なるべし、相傳相ふ昔此邊より石の匣を掘出せしことあり、大さは大抵一尺四五寸四方にて、蓋に高印の二字を彫り、其中に真鍮の一丸あり、大さ銀杏の如し、是を振へば、盧中に物ありて音をなせり、何に用ひしものと云ことは考ふべからざれど、葬具などにやと村老いへり、何れにも古の明器の類なるべし、されどいつしか其ものをも失ひて今はなし。(新編武蔵風土記稿より)

川崎市教育委員会掲示による五所塚と権現台遺跡について

五所塚と権現台遺跡
五所塚は、直径四メートル・高さ二メートル前後の五つの塚が南北に並んでいることから、地元では古くから、こう呼ばれてきました。外観は古墳時代の円墳に似ていますが、実際は、中・近世に村境や尾根筋に築かれた十三塚などと同様の、民俗信仰に基づく塚であると考えられています。
この五所塚から長尾神社境内につづく舌状台地上の平坦部は、権現台遺跡と呼ばれる縄文時代中・後期の集落跡です。昭和三十三年(一九五八)に実施された発掘調査では、竪穴住居四軒、炉跡二基、配石遺構一基が発見されました。なかでも、平面形が五角形という特異な形状をした縄文中期の竪穴住居跡や、男根を模した二本の石棒が据えられ、狩猟にまつわる祭りを行ったと思われる縄文後期の配石遺構は重要な発見でした。
ここ五所塚第一公園には、地上に中・近世の信仰塚が、地下には狩猟祭祀をした縄文時代のムラの跡が重複しているのです。(川崎市教育委員会掲示より)


五所塚と権現台遺跡の周辺図