不動院。応永年間に足利公方の庇護により建立
不動院の概要
真言宗豊山派寺院の不動院は、明王山般若坊と号します。不動院は、応永年間に足利公方の庇護により不動堂を建立、嘉永二年(1849)年に王禅寺の末寺となったといいます。当寺の不動尊は、鎌倉二階堂大楽寺開山願行上人鋳造の不動明王で、木賊不動尊と称されるといいます。
山号 | 明王山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | - |
住所 | 川崎市麻生区下麻生1-21-10 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
不動院の縁起
不動院は、応永年間に足利公方の庇護により不動堂を建立、嘉永二年(1849)年に王禅寺の末寺となったといいます。当寺の不動尊は、鎌倉二階堂大楽寺開山願行上人鋳造の不動明王で、木賊不動尊と称されるといいます。
新編武蔵風土記稿による不動院の縁起
(下麻生村)不動堂
除地、八畝歩、村の乾の方にあり、五間に六間東向なり、不動は長八寸の立像なり、王禅寺村王禅寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による不動院の縁起
抑当山者明王山不動院般若坊と云い、俗称木賊不動と称す。応永年中足利公方の庇護を受け堂宇を建立し鎌倉二階堂大楽寺開山願行上人鋳造の不動明王を安置す。降って宝永二年地頭安藤織部氏により再建、更に元文二年安藤平七郎氏境内敷地を寄附せらる。嘉永二年住僧了円王禅寺門末に加入し真言宗に属す。以来百有余年千五百名の法縁を得昭和四十三年より諸堂を新築し輪奐の美整う。(境内中興之碑より)
境内掲示による不動院の縁起
麻生不動院は嘉永二年(1849)年に王禅寺の末寺となった。木賊不動とも呼ばれ、火伏せの不動として人々に信仰されている。一月二八日の初不動では、ダルマ市が立ち多くの人々で賑わう。(境内掲示より)
「川崎市史」による不動院の縁起
下麻生の不動院は一月二十八日のダルマ市で有名であるが、王禅寺の兼務寺となっている。昔、村人が木財を刈りにきて発見して不動尊を配ったという伝説にちなんで別名木財不動という。また火伏せの不動とも言い、賽銭としてあがった穴あき銭をもらっていき、いろりの自在鈎につけて置き、火の事故がなかった時は翌年二枚にして返した。現在はダルマ市の当日、穴あき銭を売っている。当日は堂で護摩が修され、境内ではダルマの店が、また参道には四五〇軒という店が並ぶ。かつては見世物小屋もでた。不動の縁日である正・五・九月の二十八日に護摩を修すことは古くからやっていたが、ダルマを売り始めたのは明治三十七年(一九〇四)からで、町田市能ヶ谷の池田巳之吉という人が北多摩郡の村山町からダルマを仕入れて売り始めたのが最初とされる。大正時代に入ってダルマを売る店が増え、昭和六年(一九三一)から平塚の相州ダルマが入ってきた。その後、平塚のダルマがほとんどになった。
現在、この不動堂は下麻生の地元の人々によって維持されているが、遠来からバスでくる講もある。瀬谷区相沢、保土ケ谷区仏向町、瀬谷区宮沢町、海老名市河原口・今泉、津久井町城山などの人々である。(「川崎市史」より)
不動院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿