石観音堂。明長寺の僧弁融が創建、東海三十三観音霊場、准秩父三十四札所観音霊場
石観音堂の概要
曹洞宗寺院の石観音堂は、潮音殿と号します。石観音堂は、寛文五年(1665)天台宗明長寺の僧弁融が創建、近郷近在の人々の信仰を集めたといいます。東海三十三観音霊場7番札所、准秩父三十四札所観音霊場23番となっている他、数多くの文化財を有しています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 石造如意輪観世音菩薩 |
住所 | 川崎市川崎区観音2-16-3 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
石観音堂の縁起
石観音堂は、寛文五年(1665)天台宗明長寺の僧弁融が創建、近郷近在の人々の信仰を集めたといいます。
新編武蔵風土記稿による石観音堂の縁起
(大師河原村)観音堂
字遠藤野にあり。如意輪観音石の坐像にして、長一尺四五寸許、堂大さ五間四方西向なり。延享の頃より堂を立しよしを土人いへり、されば近ごろよりのものなり。これも明長寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
川崎市史による石観音堂の縁起
『江戸名所図会』(天保七年-一八三六-刊)に記載のある石観音堂は現在でも観音町が祀っていて毎月十八日が縁日である。名前の由来は本尊が石の如意輪観音であることに由来するが、境内の手水鉢は霊亀石といって海中より亀の助けで陸にあげた石で、その大石を彫って手水鉢にしたという伝説がある。昔はここで相撲を行ったり力石を持ち上げることが行われた。(川崎市史より)
石観音堂所蔵の文化財
- 霊亀石盥盤
- 梅動独吟万句詠草塚
- 六人一句碑
石観音堂の文化財
この石観音堂は、寛文五年(1665)天台宗明長寺の僧弁融によって開かれたもので本尊は、石造・如意輪観音像です。境内には、近郷近在の人々の信仰を物語る文化財が残されています。
霊亀石盥盤
享保十八年(1733)、霊亀の助けをうけて、地元の漁師たちが海中から引き上げたといわれる手水石です。
梅動独吟万句詠草塚
宝暦八年(1758)郷土の俳人花鳥庵梅動が、早朝から夕刻にかけて句をつくりながら詠みつづけ、その数を競った、「俳諧の矢数独吟」をした時の記念碑です。
六人一句碑
延享四年(1747)、俳人茗荷坊の門人六人が、石観音に奉納する句を詠んだ時の記念碑です。
これらの石造記念物は、近世における民俗・文芸の地方資料としても貴重であります(川崎市教育委員会掲示より)
石観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿