円真寺。北条家の家人斉藤大学助久義を追善
円真寺の概要
日蓮宗寺院の円真寺は、蓮忠山円経院と号します。円真寺の創建年代は不詳ですが、小田原城で討死した北条家の家人斉藤大学助久義を追善したと過去帳に記載があったといい、戦国時代以前の創建と伝えられます。慶長年間蒲田嘉左衛門(法名蓮忠、寛永7年寂)が中興開基して現山号となったといいます。
山号 | 蓮忠山 |
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院号 | 円経院 |
寺号 | 円真寺 |
本尊 | 三寶祖師像 |
住所 | 川崎市幸区幸町3-711 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
円真寺の縁起
円真寺の創建年代は不詳ですが、小田原城で討死した北条家の家人斉藤大学助久義を追善したと過去帳に記載があったといい、戦国時代以前の創建と伝えられます。慶長年間蒲田嘉左衛門(法名蓮忠、寛永7年寂)が中興開基して現山号となったといいます。
新編武蔵風土記稿による円真寺の縁起
(南河原村)円真寺
村の東にあり。日蓮宗にて安房国小湊誕生寺の末、蓮忠山円経院と号す。開山は詳ならずされど天正十八年北条家没落の時、かの家人斉藤大学助久義といへるもの、此年四月十九日小田原城にて氏直の為に討死せしを、当寺に於て追善せしよし過去帳に載たれば、古き世よりの寺なるべし。其後慶長年中蒲田嘉左衛門といへるもの中興開基して今の寺号とせり。是までは円経院とのみいひしとぞ嘉左衛門が法号を蓮忠と呼で寛永七年二月二日死せり。よりて山号とす。今其子孫村民にあり。其時の住職は自證院日飴とよびて元和三年四月十九日寂す。本尊三寶祖師長一尺五寸なるを安せり。客殿六間半に七間南の方に向ふ。
鐘楼。門の左にあり。天明六年の銘文あり。考證によしなければ略せり。(新編武蔵風土記稿より)
円真寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿