浄蓮寺。慶安2年に寺領8石の朱印状
浄蓮寺の概要
日蓮宗寺院の浄蓮寺は、常教山と号します。浄蓮寺の創建年代は不詳ですが、妙海寺二世日徳上人(元亀3年1572年寂)が開基となり創建、二世日慶上人の代に、慶安2年に寺領8石の朱印状を拝領したといいます。
山号 | 常教山 |
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院号 | - |
寺号 | 浄蓮寺 |
本尊 | 三寶祖師像 |
住所 | 川崎市幸区鹿島田1-7-5 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄蓮寺の縁起
浄蓮寺の創建年代は不詳ですが、妙海寺二世日徳上人(元亀3年1572年寂)が開基となり創建、二世日慶上人の代に、慶安2年に寺領8石の朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による浄蓮寺の縁起
浄蓮寺
日蓮宗相模国三浦郡大明寺の末、常教山と号す。寺領8石を賜へり。草創の年暦詳ならず。開基日徳元亀3年正月20日示寂。第二世日慶の時に至り榊原左衛門地頭たりしをり、かく願ひあげ慶安2年8月24日村内にをいて8石の御朱印を給へり。日慶は同き3年4月15日寂せり。客殿7間半に8間半、本尊三寶祖師を安ぜり。案に村内天正年中の水帳に大蓮坊十蔵坊とのせ、往昔は鹿島の別当なりと云傳ふ。又木月村妙海寺の過去帳に、二祖日徳は鹿島田浄蓮寺の開基にあり。この人隠居せし頃鹿島の社地に浄蓮坊とて、浄土宗の庵ありしが常教山浄蓮寺と改て日徳ここに幽棲し、終に妙海寺の末になれりと云。ざれば今の如く大明寺の末寺となりしは、いつの頃にや、又これらを以て考ふれば天正の水帳にのせたる大蓮坊は則浄海坊のことなるべしといへり。其實をしらず。
八幡社。客殿の背後にあり、神体は束幣にて馬に乗れり。何人の作をしらず。(新編武蔵風土記稿より)
浄蓮寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿