常照寺。多摩川三十三ヶ所観音霊場、準西国稲毛三十三観世音霊場
常照寺の概要
真言宗豊山派寺院の常照寺は、雁三山正幡院と号します。常照寺の創建年代等は不詳ながら、創建は寳徳元年(1449)とも康正3年(1457)とも、また明應6年(1497)ともいい、賢智法印(文亀2年1502年寂)が開山したといいます。当寺の観音像は、多摩川三十三ヶ所観音霊場7番、準西国稲毛三十三観世音霊場7番です。
山号 | 雁三山 |
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院号 | 正幡院 |
寺号 | 常照寺 |
住所 | 川崎市多摩区宿河原3-11-3 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常照寺の縁起
常照寺の創建年代等は不詳ながら、創建は寳徳元年(1449)とも康正3年(1457)とも、また明應6年(1497)ともいい、賢智法印(文亀2年1502年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による常照寺の縁起
(宿河原村)常照寺
村の中央字北村にあり、新義真言宗多磨郡中野村寳仙寺末、雁楚山正幡院と號す、開山法印賢智は文亀二年四月七日化す、當山開闢の年代寺傳區々にして其實を知るべからず、寳徳元年四月とも、又康正三年とも、明應六年四月ともいへり、寳徳より文亀二年まで五十年餘なれば、いづれを實としても年代相當せり、又寺傳に永正十七年二月寛永十六年四月再びの回禄にあひしよしを記したれば、とかくに舊記も烏有となりしなるべし、客殿八間四方東向なり、本尊大日長二尺五寸木の坐像なり、門は兩控作にて客殿の正面にあり。
観音堂
今常照寺の門に入て左にあり、されどもと境内のものにあらず、八幡の社ある所除地二十歩は此観音の堂地なり、ここに移せしことは己に前に記せし如し、堂は北向にして大さ二間に三間、十一面観音長一尺許立身の木像なり春日の作と云傳ふ。(新編武蔵風土記稿より)
常照寺所蔵の文化財
- 紙本墨画着色松寿弁才天図(川崎市重要歴史記念物)
紙本墨画着色松寿弁才天図
当寺は、真言宗豊山派に属しています。
当寺所蔵の紙本墨画着色松寿弁才天図は、宿河原綱下ヶ松と松寿弁才天の霊験を図示したもので、その款印により江戸時代安政五年(一八五八)の制作であることがわかります。
「世田谷大場代官日記」天保三年(一八三二)五月の条に「この節枯木霊験これあり御府内より貴賎老若諸侯方並奥方参詣・・・」とあり、当時の信仰のようすがうかがわれます。このように、本図はこの地の風俗、民間信仰を知るうえでも貴重です。
川崎市教育委員会は、この絵図を、昭和六十年十二月二十四日、川崎市重要歴史記念物に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)
常照寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿