観音寺。準西国稲毛三十三観世音霊場、武州稲毛七福神の恵比寿
観音寺の概要
真言宗豊山派寺院の観音寺は、萬休山福聚院と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、山伏萬休が当地に福聚院と号す草庵として創建、法印賢随(享保8年1723年寂)が中興したといいます。準西国稲毛三十三観世音霊場2番、武州稲毛七福神の恵比寿です。
山号 | 萬休山 |
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院号 | 福聚院 |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 川崎市多摩区生田7-17-8 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、山伏萬休が当地に福聚院と号す草庵として創建、法印賢随(享保8年1723年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(五段田村)観音寺(生田)
村の北にあり、新義真言宗多摩郡坂濱高勝寺末、萬休山福聚院と號す、開山開基詳ならず、相傳ふ昔萬休といへる山伏あり、濃州の産にて久しく相州鎌倉に住せり、後當村に来り草庵を結て幽棲す、歿後遂にその庵を以一宇の堂舎とす、その頃は今の字堂屋敷と云所にありて福聚院と號せしよし、いつの頃か今の所に移り、かの萬休が名を取りて山號とせり、もとより霊佛の観音を安置せしを以、これを號とせりとぞ、萬休か遷化の年代は傳はらず、歴代の内寂年を記せしもの、中にて、ふるきは法印惠秀寛永九年五月二十五日化すと云、これより中興開山は法印賢随なり、享保八年八月十一日化すと云、本尊大日永一尺餘の坐像なり、作しれず、門前に石階あり。
寺寳。
不動像一軀。木像にして長二尺立身なり、開山萬休在世の時護持の本尊なり、昔は當寺の本尊とせし像なりと云。
法螺貝一口。長一尺一寸ばかり、殻の廻り一尺五寸ばかり、これも萬休所持の品なり。
地蔵像一軀。弘法大師の作なりと云、木像にして長一尺餘立像なり、これももと四國の津の僧良榮といひしもの霊夢の告に任せて此所に負来り、當院に安置しその身もここに任せしが文禄七年四月十三日寂せりと云。
観音堂。客殿に向て左にあり、三間四方、本尊聖観音は智證大師の作なり、白檀木像にして長七寸ばかりの立身なり。
古碑一基。境内の墓所にあり、應永三年八月二十三日と彫る。(新編武蔵風土記稿より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿