光明院。河野三左衛門通良中興開基
光明院の概要
真言宗豊山派寺院の光明院は、稲荷山と号します。光明院は、源空(永禄9年1566年寂)が開山、河野三左衛門通良(元禄2年1689年寂)が中興開基したといいます。
山号 | 稲荷山 |
---|---|
院号 | 光明院 |
寺号 | - |
住所 | 川崎市多摩区登戸1253 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明院の縁起
光明院は、源空(永禄9年1566年寂)が開山、河野三左衛門通良(元禄2年1689年寂)が中興開基したといいます。
新編武蔵風土記稿による光明院の縁起
(登戸村)光明院
村の中央小名中村にあり、真言宗新義都筑郡王禅寺の末、稲荷山と號す、開山源空永禄九年正月十二日寂せり、開基河野三左衛門通良、元禄二年九月十八日死すといへば、通良は中興開基なるべし、この外のことは往古二度まで丙丁の災にかかりて古記を失ひしかば詳なることを傳へず、河野氏祖先の墓も境内にあり、客殿八間に七間餘南向、本尊木像の大日坐像長一尺五寸なるを安せり。
十王堂。門に入て左にあり、二間半に三間東向。(新編武蔵風土記稿より)
光明院所蔵の文化財
- 木造不動明王及び二童子像(川崎市重要歴史記念物)
木造不動明王及び二童子像
光明院は、真言宗豊山派に属し、大日如来坐像を本尊としています。
当院所蔵の文化財のうち、木造不動明王及び二童子像は、光背と台座の背面に銘文があり、光背背面には天文二十二(一五五三)年に登戸に住む僧宝玉が両親の三十三回忌に造立したこと、台座背面には天保十五(一八四四)年の修理銘が記されています。
中央の不動明王坐像は右手に剣、左手に羂索をもち、矜羯羅・制多迦の立像の両童子を配しています。三軀とも一木造・彫眼・彩色で衣の皴は、複雑ではありませんが、大きさに比べて量感があり、全体的に中世の特徴をよく残しています。(川崎市教育委員会掲示より)
光明院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿