飯田神社。平安時代末期の保延2年創建
飯田神社の概要
飯田神社は、小田原市飯田岡にある神社です。飯田神社は、福田寺と同じく保延2年(1135年)に創建したと伝えられ、八王子社と称していました。若宮小路に鎮座、飯田岡・新屋・小台・柳新田の鎮守として祀られ、若宮八幡も併せて奉斎していましたが、文和年間(1352-1356)の洪水により流失、若宮八幡社は堀之内に遷座、当社八王子社は別当寺だった福田寺の西側へ遷座再建したといいます。江戸期には飯田岡・柳新田の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治8年の洪水により流失したため、当地に遷座しています。
社号 | 飯田神社 |
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祭神 | 若日子建吉備津日子命、山王総本宮八王子大権現 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 4月1日 |
住所 | 小田原市飯田岡262 |
備考 | - |
飯田神社の由緒
飯田神社は、福田寺と同じく保延2年(1135年)に創建したと伝えられ、八王子社と称していました。若宮小路に鎮座、飯田岡・新屋・小台・柳新田の鎮守として祀られ、若宮八幡も併せて奉斎していましたが、文和年間(1352-1356)の洪水により流失、若宮八幡社は堀之内に遷座、当社八王子社は別当寺だった福田寺の西側へ遷座再建したといいます。江戸期には飯田岡・柳新田の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治8年の洪水により流失したため、当地に遷座しています。
新編相模国風土記稿による飯田神社の由緒
(飯田岡村)
八王子社
當村及柳新田村の鎮守なり、(古は新屋小臺の兩村も、産神とせしと云、)神軀を置、(各木像五寸)例祭仲春秋の二十一日なり、當社は往昔よりの鎮座にて、剏は小名若宮小路にありしも、文和中洪水の後、今の社地に遷座せる由、元禄五年の棟札に記せり、村持、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による飯田神社の由緒
古より飯田岡、新屋、小台及柳新田の四ケ所の産神であった。保延二年(一一二六)、邑長四名斎しく夢をみた。一老翁、告げて日く「我者是比叡山坂下の八王子なり、此の邑の硯石の辺に来て住まん」と、四名相語り、彼の地に赴きて分霊を乞いもとめて硯石の東南今の若宮耕地に一祠を設立して之を勧進して八王子大権現ととなえ、福田寺を別当とした。後又同所に若宮八幡を勧進したが文和年中、洪害によって両者共に流出したので若宮八幡は堀の内に遷庵し、八王子社は福田寺の西部に奉遷した。以後老松欝蒼として年を経たが安政以来数回の水害にかかり遂に明治八年に至り悉く流出した。依って現地に再遷した。
明治二年神仏判然によって神官奉仕、明治六年七月足柄県に於いて村社列格、大正四年十一月十二日神鎮幣帛供進神社に指定された。(「神奈川県神社誌」より)
飯田神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿