田島津島神社。小田原市田島の神社
田島津島神社の概要
田島津島神社は、小田原市田島にある神社です。田島津島神社は、貞応2年(1223)に北條政子より社地を与えられ、嘉禄元年(1225)に社が竣工したといいます。一方「神奈川県神社誌」では、貞応4年(882)に露木某が尾張津島神社を勧請したと記しています。江戸期には牛頭天王社と称して田島村の鎮守として祀られ、金蔵院の持ちとなっていました。
社号 | 津島神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭4月7日 |
住所 | 小田原市田島1489 |
備考 | - |
田島津島神社の由緒
田島津島神社は、貞応2年(1223)に北條政子より社地を与えられ、嘉禄元年(1225)に社が竣工したといいます。一方「神奈川県神社誌」では、貞応4年(882)に露木某が尾張津島神社を勧請したと記しています。江戸期には牛頭天王社と称して田島村の鎮守として祀られ、金蔵院の持ちとなっていました。
境内掲示による田島津島神社の由緒
津島神社の由来
源実朝死んで北條政子尼将軍となって五年目の貞応二年(西暦一二二三年)に北條政子より社地を貰い、嘉禄元年(西暦一二二五年)に神社が竣工した。丁度北條政子の死んだ年であった。
疾病平癒のため、尾張の津島神社を勧請して『牛頭天王』と称した。
明治二年(西暦一八六九年)になり、祭神『牛頭天王』とは印度(インド)の舎衛国祇園精舎の守護神だと云う事から日本の神様『素戔嗚尊』と改称した。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による田島津島神社の由緒
(田島村)
牛頭天王社
村の鎮守なり、例祭六月七日、金蔵院持、
△末社 稲荷 疱瘡 地守(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による田島津島神社の由緒
貞応四年(八八二)露木某尾張津島神社を勧請して牛頭天王と号したので、明治二年より現今の社号を称するようになった。(「神奈川県神社誌」より)
田島津島神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿