金蔵院。小田原市田島にある真言宗東寺派寺院
金蔵院の概要
真言宗東寺派寺院の金蔵院は、寶篋山観音寺と号します。金蔵院の証券年代等は不詳ながら寿永年間(1182-1184)の開創と伝えられます。江戸期には津島神社の北側にあり、津島神社の別当を兼ねていました。明治維新後廃寺となった吉祥院を明治初年(1868)合併、吉祥院の本尊不動明王像は、当寺に移されているそうです。
山号 | 寶篋山 |
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院号 | 金蔵院 |
寺号 | 観音寺 |
本尊 | 聖観世音菩薩像 |
住所 | 小田原市田島707 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金蔵院の縁起
金蔵院の証券年代等は不詳ながら寿永年間(1182-1184)の開創と伝えられます。江戸期には津島神社の北側にあり、津島神社の別当を兼ねていました。明治維新後廃寺となった吉祥院を明治初年(1868)合併、吉祥院の本尊不動明王像は、当寺に移されているそうです。
「川東仏教会寺院名鑑」による金蔵院の縁起
寶篋山觀音寺と号す、津島神社の別当を兼ねていた。中興は慶長11年と云われている。詳細は不明。本尊は聖観世音菩薩。左側に弘法大師、不動明王、大黒天、右側に大日如来地蔵菩薩像等。尚不動明王像は河原にあった吉祥院の本尊なり、この吉祥院は寛延3年(1750年)長慶と云う修験者が同地にあった長福寺(尼寺)を吉祥院と改名して、明治初年(1868年)当山と合併したものである。以前は神社の北にあったのが、地表の変化の為現地へ移住せしもの、現在の建造物は火災の為昭和51年10月15日建造せしものなり。(「川東仏教会寺院名鑑」より)
新編相模国風土記稿による金蔵院の縁起
(田島村)
金蔵院
寶篋山觀音寺と號す、古義眞言宗、(國府津村寶金剛寺末、)中興開山惠賢、(慶長十一年卒、)本尊正觀音、
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吉祥院
當山修驗、(伊勢國山田世儀寺末、)中興開山長慶、(寛延三年九月二十二日卒、)本尊不動、(新編相模国風土記稿より)
金蔵院の周辺図
参考資料
- 「川東仏教会寺院名鑑」
- 新編相模国風土記稿