長善寺。大友左近将監能直開基、笠原越前守中興開基
長善寺の概要
曹洞宗寺院の長善寺は、金峯山と号します。長善寺は、当地の領主だった大友左近将監能直が開基となり建仁2年(1202)に創建、その後の領主笠原越前守が文明17年(1485)に中興開基となり、宝室宗珍が曹洞宗寺院に改めて開山したといいます。笠原越前守が当寺へ寺領寄進したことを許可する北条氏虎の印判状は小田原市文化財に指定されています。
山号 | 金峯山 |
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院号 | - |
寺号 | 長善寺 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
住所 | 小田原市東大友65 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長善寺の縁起
長善寺は、当地の領主だった大友左近将監能直が開基となり建仁2年(1202)に創建、その後の領主笠原越前守が文明17年(1485)に中興開基となり、宝室宗珍が曹洞宗寺院に改めて開山したといいます。笠原越前守が当寺へ寺領寄進したことを許可する北条氏虎の印判状は小田原市文化財に指定されています。
境内掲示による長善寺の縁起
この寺は金峯山長善寺と号し、曹洞宗曽我瑞雲寺の末である。
寺伝によれば、建仁2年(1202)この地方の領主であった大友左近将監能直の開基により建立され、大友山長善寺と号す他宗の寺であった。
のちこの長善寺は衰微してしまったが、文明17年(1485)笠原越前守が中興開基となり、宝室宗珍を中興開山として再建し、現在の曹洞宗に改められた。
寺には数多くの古文書が残されているが、その中でも小田原市の重要文化財に指定された次の二点は、中世史を知る貴重な史料である。
北条氏虎印判状(丁丑(天正5年)5月24日)(長善寺の中興開基笠原越前守の土地取得に関す諸役免除の書状)
北条氏虎印判状(天正13年7月23日)(笠原越前守が長善寺に寄進した寺領について諸役免除の書状である。)(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による長善寺の縁起
(東大友村)
長善寺
金峯山と號す、曹洞宗、(足柄上郡曾我村瑞雲寺末、)開山寶室宗珍、(文龜二年十月十七日卒、)本尊釋迦、
△白山社(新編相模国風土記稿より)
「川東仏教会寺院名鑑」による長善寺の縁起
金峰山長善寺と号し曹洞宗曽我瑞雲寺の末である。寺伝に依れば建仁2年(1202年)この地方の領主であった大友左近将監能直の開基により建立され大友山長善寺と号す他宗の寺であった。後にこの長善寺は衰微してしまったが文明17年(1485)笠原越前守が中興開基となり宝室宗珍を中興開山として再建し現在の曹洞宗に改められた。(「川東仏教会寺院名鑑」より)
長善寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」