宝安寺。鐵牛禅師より授与された腹籠もりの太子像を祀った太子堂
宝安寺の概要
曹洞宗寺院の宝安寺は、定林山と号します。宝安寺は、寳安香積居士が開基、僧模庵宗範建(明応5年1496年卒)が開山となり、明応元年(1492年)創建したといいます。新宿町小大工頭遠藤小兵衛が入生田紹太寺で鐵牛禅師より授与された腹籠もりの太子像を祀った太子堂があります。
山号 | 定林山 |
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院号 | - |
寺号 | 宝安寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 小田原市浜町1-4-38 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝安寺の縁起
宝安寺は、寳安香積居士が開基、僧模庵宗範建(明応5年1496年卒)が開山となり、明応元年(1492年)創建したといいます。新宿町小大工頭遠藤小兵衛が入生田紹太寺で鐵牛禅師より授与された腹籠もりの太子像を祀った太子堂があります。
新編相模国風土記稿による宝安寺の縁起
(一町田町)寳安寺
曹洞宗、伊豆国加茂郡逆川村譜門院末、定林山と號す。明応元年僧模庵宗範建(明応五年八月十日卒)。開基寳安香積居士(事蹟詳ならず)。中興僧仁叟隣宅(元和元年七月廿日卒)。釈迦を本尊とす。天正十四年七月江湖会の時、北條氏制札を出す。今に蔵せり(曰、禁制、右當寺江湖之間、聴聞之貴賎、横合非分狼藉等、堅令停止了、若違犯之輩有之者、速可被遂披露旨、被仰出者也、天正十四年丙戌七月十三日、寳安寺、江雲奉之虎朱印)。又十八年二月の法度書あり、其文に新地たるの由載す(曰く、法度、為新地之間、寺内并門前前屋敷十五間、諸役不可有之事、竹木草花不可剪取事、横合非分狼藉堅令停止事、右三ヶ條、至子違犯之輩者、可有披露、可處厳科旨、被仰出者也、仍如件、天正十八庚寅二月十日、寳安寺、宗悦奉之)。按ずるに此頃當地に転地せしなるべし。
太子堂。延宝二年建(太子像長九寸八分、運慶作)、其時の住僧大雲の記せし縁起あり(曰、新宿町小大工頭遠藤小兵衛と云者、當宿に太子堂なきを患へ、延宝二年入生田紹太寺に詣し、鐵牛禅師に語りしに、幸ひ庫内に太子あり、師前夕の夢に、明日来詣の男子に輿ふべしとも告あれば、則小兵衛に授輿すとなり、小兵衛程なく當寺に堂を建、霊像を安ぜり)。
稲荷社。(新編相模国風土記稿より)
宝安寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿