久翁寺。小田原市早川にある曹洞宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

久翁寺。千句の連歌や月次の会が開催されていた地

久翁寺の概要

曹洞宗寺院の久翁寺は、松嶽山と号します。久翁寺は、廃寺となった真言宗心明院のあった当地に、北條長綱入道幻庵の家臣関善左衛門(法名久翁昌公庵主、天文15年卒)が開基となり創建したといいます。心明院は、千句の連歌や月次の会が度々開催され、北条氏綱も出席していたことで知られます。

久翁寺
久翁寺の概要
山号 松嶽山
院号 -
寺号 久翁寺
本尊 釈迦如来像
住所 小田原市早川850
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



久翁寺の縁起

久翁寺は、廃寺となった真言宗心明院のあった当地に、北條長綱入道幻庵の家臣関善左衛門(法名久翁昌公庵主、天文15年卒)が開基となり創建したといいます。心明院は、千句の連歌や月次の会が度々開催され、北条氏綱も出席していたことで知られます。

境内掲示による久翁寺の縁起

この寺は、松嶽山久翁寺と号し、曹洞宗真芳寺の末である。(現在は海蔵寺)往古は、心明院と号する真言宗の寺であったが、その後廃寺となっていたものを、天文15年(1546)、知行主北條長綱入道幻庵の許可を得て、その家臣関善左衛門が建立したものである。
後北条時代初期の心明院の頃、この寺では千句の連歌の会があり、また月次の会も催されて、北条氏綱も度々出席した。
菊の露月にやましを玉の庭 氏綱
八千代の椿秋をふるかな 長慶
名もしるき岩の松虫音に立てて 宗長
更ぞ行野辺の鹿の音夜半の月 公融
下葉うつろふ庭の群萩 竹庵
今朝はかつ萩の上風吹過ぎて 氏綱
なお寺内の墓地には、地元石橋分教場で教鞭をとりながら、詩作活動を続けて、映画「嘆きの孔雀」など数多くの作品を残した小田原出身の民衆派詩人、福田正夫の墓がある。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による久翁寺の縁起

(早川村)
久翁寺
松嶽山と號す、同宗(曹洞宗)(大住郡大神村眞芳寺末、)境内除地は(十七石四斗餘)天和二年稲葉正則、慶安二年の例に任せ寄附せしより今に同じ、本尊釋迦、外に千手觀音(長八寸、弘法大師作、)の像を置、此知昔は心明因と號する眞言宗の寺あり、北條氏綱小田原在城の頃、此寺にて千句の連歌、或は月次の會抔催せしこと、【小田原記】に見ゆ、(注釈を読む)
然るに後年廢壊に及しを、天文十五年、北條氏の臣關善左衛門某、(法名久翁昌公庵主、天文十五年六月晦日卒と云、境内に墓あり、按ずるに後に注記する北條幻庵の文書に載る月日と同じ、然れば晦日と傳ふるはうけがたし、)
時の領主北條長綱入道幻庵の許可を得て、其廢跡へ當寺を建立せり、其時幻庵より善左衛門に與ふる文書今に蔵す、(注釈を読む)
開山在此孝存、(永禄二年二月十九日卒、)天文十七年七月、北條氏より中郡徳延の内河井分、五貫三百文の地、先規の如く當寺所務すべき事を命ず、 (注釈を読む)
此時又寺内の制札をも與ふ、(所蔵文書あり、)其後も寺内禁制三ヶ條の掟書を出せり、(所蔵文書あり、)今門外に領主の制札を建、(貞享四年正月三日所出なり)(新編相模国風土記稿より)


久翁寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿