福田寺。小田原市本町にある時宗寺院

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福田寺。濱名豊後守時成開基

福田寺の概要

時宗寺院の福田寺は、蓋子山と号します。福田寺は、遊行二祖他阿眞教が永仁5年(1297)に創建したといいます。天文年間(1532-1555)の住職愛阿は、連歌の達人で、北条氏綱や松田長慶などと月次会を開催していたことで知られます。

福田寺
福田寺の概要
山号 蓋子山
院号 -
寺号 福田寺
本尊 延命地蔵尊像
住所 小田原市本町4-6-12
宗派 時宗
葬儀・墓地 -
備考 -



福田寺の縁起

福田寺は、遊行二祖他阿眞教が永仁5年(1297)に創建したといいます。天文年間(1532-1555)の住職愛阿は、連歌の達人で、北条氏綱や松田長慶などと月次会を開催していたことで知られます。山号の蓋子山はふたこやまと読み、当寺がかつて箱根二子山近くにあったことに由来すると伝えています。

新編相模国風土記稿による福田寺の縁起

(代官町)
福田寺
時宗、(藤澤清浄光寺末、)蓋子山(布多古と訓す、古は箱根二子山の邊にありしなど傳ふ)正覺院と號す、遊行二祖他阿眞教永仁五年建、(元應元年正月廿七日卒、)天文の頃、現住愛阿、連歌の達人にて、北條左京大夫氏綱、月次の會に連りし事、【小田原記】に見ゆ(曰、弓馬合戰の隙なきに、氏綱常に連歌に御心を寄せ、駿河より宗長を節々招越、連歌をぞ被成ける、又小田原福田寺の住持愛阿と云時衆、勝れたる連歌の達者、又松田長慶も無隠名人也、彼是三四人、月次の御會有て、かくし名を付、田舎連歌と號し、京にて點を取給云々、)本尊延命地蔵、(長四寸八分、毘首羯摩作、日限願満地蔵と號す、)及彌陀、(長一尺二寸、聖徳太子作、)閻魔(石像八寸、弘法大師作、)等を安ず、
△觀音堂。本尊千手觀音、(長四寸八分、弘法大師作)又十一面觀音(長六寸、慈覺大師作、)及愛染明王(長六寸、同作、)毘沙門(長二寸八分、聖徳太子作、)を安置、
△熊野社
△辨天社
△脇寮(新編相模国風土記稿より)


福田寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿