無量寺。足柄三十三観音霊場
無量寺の概要
浄土宗寺院の無量寺は、不老山壽松院と号します。無量寺は、専蓮社成譽壽松上人(天正14年1586年寂)が開山となり、壽松院と称して天正元年(1573)に創建、享保9年(1724)名称を院号から寺号の無量寺へ改めたといいます。天正18年(1590)小田原城攻めに際し、3世光蓮社善譽林貞上人は徳川家康に召し出され、上意により江戸へ移り浅草壽松院を文禄3年(1594)創建しています。足柄三十三観音霊場33番霊場です。
山号 | 不老山 |
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院号 | 壽松院 |
寺号 | 無量寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 小田原市本町3-13-53 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
無量寺の縁起
無量寺は、専蓮社成譽壽松上人(天正14年1586年寂)が開山となり、壽松院と称して天正元年(1573)に創建、享保9年(1724)名称を院号から寺号の無量寺へ改めたといいます。天正18年(1590)小田原城攻めに際し、3世光蓮社善譽林貞上人は徳川家康に召し出され、上意により江戸へ移り浅草壽松院を文禄3年(1594)創建しています。
新編相模国風土記稿による無量寺の縁起
(代官町)
無量寺
浄土宗、(京知恩院末)不老山壽松院(古は院號を以て行はれしを、享保九年より寺號を唱ふ)と號す、天正元年の剏建にて、開山壽松、(専蓮社成譽と號す、天正十四年正月廿四日卒、)三世林貞(根蓮社善譽と號す)江戸淺艸壽松院を開基せり、(按ずるに淺艸壽松院記に、光蓮社善譽稱入林貞は、相の三浦の産、生實大嚴寺道譽の弟子、始鎌倉安養院住職、後小田原壽松院住職となる、天正十八年、東照宮御陣屋へ召され、十念を授與し奉り、又自坊へ入御あり、江戸へ移べきとの上意を蒙る、文禄三年鍛冶橋門内にて寺地を賜る、山院寺號とも小田原に同じ、後年柳原雁淵に移り、又淺艸に移るとなり、)本尊彌陀、又東照宮の御木像(束帯御長八寸許)を安置し奉る、こは天正中御駐駕の由緒をもて、廿六世の僧秀耕、文化の頃勧請し奉れり、
△觀音堂。十一面觀音を置、(長三尺、聖徳太子作)
△地蔵堂
△辨天社 八臂辨天を安ず、(長五寸、毘首羯摩作、)
△鐘樓。享保七年三月鑄造の鐘を掛、
△子院廢蹟。高樹院、長勝院(天明中に廢す、)(新編相模国風土記稿より)
無量寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿