不老山寿松院|台東区鳥越にある浄土宗寺院
寿松院の概要
浄土宗寺院の寿松院は、不老山無量寺と号します。寿松院は、小田原寿松院住職の善誉上人が、鍛冶橋御門に寺地を拝領して文禄3年に創建、寛文9年当地へ移転したといいます。元禄年中には10ヶ寺の塔頭、宗林寺(現愛知県一宮市)等の末寺を擁していたといいます。
山号 | 不老山 |
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院号 | 寿松院 |
寺号 | 無量寺 |
住所 | 台東区鳥越2-13-18 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
寿松院の縁起
寿松院は、小田原寿松院住職の善誉上人が、鍛冶橋御門に寺地を拝領して文禄3年に創建、寛文9年当地へ移転したといいます。元禄年中には10ヶ寺の塔頭、宗林寺(現愛知県一宮市)等の末寺を擁していたといいます。
「淺草區史」による寿松院の縁起
壽松院
老松町にあり。不老山無量寺と號す。京都智恩院の末寺たり。淺草志に
不老山無量寺壽松院 浄土宗 元鳥越
開山吉蓮社善譽上人林貞和尚 慶長八年大胡和尚に譲り、上州高崎大徳寺に移り、大胡和尚又靈山寺を草創す。當時相州小田原に有。元禄三鈞命によつて當地に移り、鍛冶橋の内に寺地を賜り、後に雁ヶ淵に移され、夫より此地に移るよし。
塔頭 長壽院 良稱院 紹隆院 信入院 玉泉院 隆宗院 空巌院 峯體院 清閑院
壽松院門前長屋
とあり。此地に移りしは正保元年にして、門前町屋亦同年の開設にかゝる。寺領五十石舊支院にて殘存するものに峯體院・信入院・長壽院・空巌院・玉泉院・良稱院あり。境内約九百五十坪、區内大寺の一たり。(「淺草區史」より)
御府内寺社備考による寿松院の縁起
京都知恩院末 浅草元鳥越
不老山無量寺寿松院 境内古跡拝領地4208坪内門前町屋有
当寺開山善誉上人、最初鍛冶橋御門之内ニ而寺地拝領之上、文禄3年一寺起立成就(当時松平阿波守殿屋敷地之由申伝候)。然処慶長8年右為御用地被召上、柳橋雁渕ニ而代地被下置。其後当時5世宗誉廓運代正保元年、又又当所ヘ転地拝領被仰付候。右拝領地之内284坪6合2勺は第6世万誉玄賾代寛文9年、小笠原山城守殿・加賀爪甲斐守殿御掛ニ而当寺東表通南北横通共右三方往来道舗開立御用地ニ相成候。当時境内前書之通ニ御座候。
右開山善誉上人、天正年中相州小田原不老山無量寺寿松院住職。文禄3年鍛冶橋内ニ而一寺創建之砌、山寺院之三号共小田原表之通被引移候。(中略)
寮舎
長寿院 起立之年代相知不申候。開基暁誉笈縁和尚。慶安3年10月15日卒。
良称院 起立之年代相知不申候。開基松誉茂白和尚。寛文9年6月15日卒。
峯休院 起立之年代相知不申候。開基珊誉峯休和尚。元和元年6月23日卒。
隆崇院 起立之年代相知不申候。開基隆崇儀、本坊開山善誉林貞上人ヘ随身仕、小田原より御当地ヘ罷越。文禄3年本坊創建之節、隆崇儀当院起立仕候より申伝候。開基隆崇和尚、寛永9年9月23日卒。
信入院 起立之儀は寿松院第3世尊誉天英上人、寛永8年境内ニおいて庵室を営、其跡当院ニ相成申候。右起立当酉年迄195年ニ相成申候。開基敬蓮社尊誉上人信入天英和尚、寛永17年4月26日卒。
空巌院 起立之年代相知不申候。開基行誉露身和尚。寛永16年6月17日卒。
玉泉院 起立之儀は文禄3年本坊創建之砌起立之由申伝候。開基欣誉玉泉和尚、元和7年7月25日卒。
松立院 右は貧寮ニ而相続難相成ニ付、宝暦6年畳置申候。此外2ヶ院有之候処廃し候由。元禄年中記録ニは10軒有之候。
(御府内寺社備考より)
寿松院の周辺図
参考資料
- 「淺草區史」
- 御府内寺社備考