妙経寺。小田原市本町にある日蓮宗寺院
妙経寺の概要
日蓮宗寺院の妙経寺は、青陽山と号します。妙経寺は、日浄(永正16年1519年卒)が開山したといいます。
山号 | 青陽山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙経寺 |
本尊 | 日蓮聖人奠定大曼荼羅 |
住所 | 小田原市本町4-6-5 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙経寺の縁起
妙経寺は、日浄(永正16年1519年卒)が開山となり、文亀年間(1501-1504)に創建したといいます。
新編相模国風土記稿による妙経寺の縁起
(代官町)
妙経寺
同宗、(京妙満寺末)青陽山と號す、開山日浄、(永正十六年九月八日卒、)本尊三寶諸尊祖師を置、
△番神堂
△稲荷社(新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による妙経寺の縁起
文亀(1501~04)年間の創立。開山日浄(永正16(1519)年9月8日寂。)旧顕本法華宗、什師門流・禹師法縁。もと足柄上郡金子村にあり真言宗であった。永正のはじめ、七里法華開教の祖京都妙満寺16世日泰が宗祖旧跡巡礼のため関本村に一泊。その時真言の僧が帰依し日浄と改め、一宇建立のため北條早雲に出願、許されて青陽山大乗院妙経寺を創立。明和8年に自火で全焼、仮普請後間もなく安永5年類焼。以上は享和3年に復興のため誌された帳面の文意による縁起沿革であるが、この記述も東京浅草寿仙院森川泰修の一部記録に基ずくものである。最終的には関東大震災で古文書・記録等を全く失ったため、現在の地に移るに至った経緯は不明である。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
妙経寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「日蓮宗寺院大鑑」