蓮昌寺。小田原市本町にある日蓮宗寺院

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蓮昌寺。濱名豊後守時成開基

蓮昌寺の概要

日蓮宗寺院の蓮昌寺は、妙珍山圓成院と号します。蓮昌寺は、文永11年(1274)日蓮聖人が身延山へ向う途次、濱名豊後守時成の屋敷で休憩、濱名時成が日蓮聖人に帰依し妙音院日行と号して出家、その霊地を、日蓮宗九老僧の一人日澄を開山として創建したといいます。

蓮昌寺
蓮昌寺の概要
山号 妙珍山
院号 圓成院
寺号 蓮昌寺
本尊 日蓮聖人奠定大曼荼羅
住所 小田原市本町4-5-19
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



蓮昌寺の縁起

蓮昌寺は、文永11年(1274)日蓮聖人が身延山へ向う途次、濱名豊後守時成の屋敷で休憩、濱名時成が日蓮聖人に帰依し妙音院日行と号して出家、その霊地を、日蓮宗九老僧の一人日澄を開山として創建したといいます。

新編相模国風土記稿による蓮昌寺の縁起

(本町)
蓮昌寺
日蓮宗(鎌倉比企谷妙本寺末)、妙珍山圓成院と號す、開山日澄(形善院と號す、九老の一、文保元年八月十日卒)傳云、文永十一年五月、日蓮身延へ入山の時、憩ひし舊蹟にて、後に一寺となる、開基濱名豊後守時成、(寺傳云、宗祖身延入山の時、當所豊後守時成の館に投宿せり、其時時成随喜して出家し、妙音院日行と號す、永仁六年二月五日、尾州熱田にて卒す、一子あり、祖母妙珍尼に養れ、七歳にて出家す、日澄と號す、即當寺開山なり、日澄其祖父蓮昌、祖母妙珍菩提の爲、當寺を開き、即祖父母の法號によりて、寺山號に名けしと云、今按ずるに豊後守時成は、北條氏政に仕へし人にて、鎌倉小町大巧寺の檀那なり、天正三年二月、大巧寺に時成寺領を寄附せし券状、今に彼寺に傳ふ、又同寺に墳あり、法名妙法と云、其子蓮眞母妙節等の碑もあり、然るを時成日蓮の弟子となり、日澄を其子となすの類、浮誕の甚しき論を俟ず、且日蓮投宿の舊跡と云も非なり、注畫賛に、五月十二日酒匂、十三日竹ノ下に止宿せしこと見えたり、時成を以て開基となさんには、元亀天正の頃の創建なり、然るを往古の事跡を以て牽強せしならん、)本尊三寶諸尊大黒天、(長三寸五分傳教作)又旭祖師(日法作、長七寸許、)を安ず、
△番神妙正合社
△鐘樓。鐘は享保二年鑄造
△子院清心庵(新編相模国風土記稿より)


蓮昌寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿