光明寺。小田原市国府津にある時宗寺院
光明寺の概要
時宗寺院の光明寺は、海向山と号します。光明寺の創建年代等は不詳ながら、国道一号線の海側に真言宗寺院として創建、遊行二祖他阿真教上人の教化により永仁5年(1297年)時宗寺院に改めて開山したといいます。その後国道一号線の北側へ移転、昭和34年当地へ移転しています。
山号 | 海向山 |
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院号 | - |
寺号 | 光明寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 小田原市国府津1082 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺の創建年代等は不詳ながら、国道一号線の海側に真言宗寺院として創建、遊行二祖他阿真教上人の教化により永仁5年(1297年)時宗寺院に改めて開山したといいます。その後国道一号線の北側へ移転、昭和34年当地へ移転しています。
「川東仏教会寺院名鑑」による光明寺の縁起
本寺は、最初国道一号線の海側に創建され、海向山と号す。もとは真言宗であったが永仁5年(1297年)時宗の二代目のお上人である「遊行二祖他阿真教上人」との結縁により時宗に改宗した。その後大檀越村野氏の請により同氏との土地交換を行い、現在の国府津2丁目3番地先に移った。(時期不明)明治初期、国府津地区最初の小学校が開設されたのは同境内である。大正年間に当時の熱海線(現東海道本線)建設の為、土地の大半を買収され境内地(墓地を含む)300坪余となった。寺の将来の発展を期して、移転計画を立て、当時遊休地であった現在地を取得、昭和34年に移転し今日に至る。(「川東仏教会寺院名鑑」より)
新編相模国風土記稿による光明寺の縁起
(國府津村)
光明寺
蓮臺寺末、海向山遍照院と號す、是も眞教の開基なり、本尊彌陀、
△子權現社 熊野稲荷を合祀す、(新編相模国風土記稿より)
光明寺の周辺図
参考資料
- 「川東仏教会寺院名鑑」
- 新編相模国風土記稿