荒神山安楽寺。足柄三十三観音霊場
安楽寺の概要
浄土宗寺院の安楽寺は、荒神山國土院と号します。安楽寺は、讃蓮社正譽宗公(宝徳3年1451年卒)が開山となり文安3年(1446)創建したといいます。足柄三十三観音霊場21番霊場です。
山号 | 荒神山 |
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院号 | 國土院 |
寺号 | 安楽寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 小田原市中町1-15-11 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 小田原みどり学園 |
安楽寺の縁起
安楽寺は、讃蓮社正譽宗公(宝徳3年1451年卒)が開山となり文安3年(1446)創建したといいます。
新編相模国風土記稿による安楽寺の縁起
(荻窪村)
安楽寺
浄土宗、(芝増上寺末、)荒神山國土院と號す、開山宗公(讃蓮社正譽と號す、寶徳三年二月十九日卒、)文安三年建、本尊阿彌陀、(立像長二尺餘、運慶作)
荒神社。神躰は鐵の鏡面に鑄出せし像なり、圖左の如し、是舊は武州羽生領の鎮守、埼玉郡小松村、熊野白山合祠の末社に勧請せし物なり、願主忠朝は、同郡羽生の城主、木戸伊豆守忠朝、直繁は廣田式部大輔直繁にて、(小松村熊野本地佛彌陀の銘に、願主廣田式部大輔直繁と刻す、又羽生領の村々に、永禄年間同人の出せし文書あり、)是も近隣の領主なれば、相謀て彼所に寄納せしなるべし、又是を當社に安ぜしは彼地の領主、大久保相模守忠隣、文禄三年、父七郎右衛門忠世の封を襲き、武州の舊領を轉して、當國小田原城主となりし頃、爰に移置せしものなり、(今當寺に蔵する縁起に、此像は新田義重上州金山に得たりしを、大江廣元入道學阿に譲り、故ありて、武州神奈川の邊、長井の邑長傳来せしを太田持資入道道灌寛正五年上洛の歸路、神奈川に宿し、彼邑長より譲受、江戸城に安置し、武州太田庄を、燈明料に附す、天正中遠山政景、江戸在城の頃、當寺に移す、是七世長順の時なりと記するは、盲誕の甚と云べし、)
子院。松明院。中古廢して、未だ再建に及ばず(新編相模国風土記稿より)
安楽寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿