泉蔵院。小田原市下大井にある東寺真言宗寺院

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泉蔵院。小田原市下大井にある東寺真言宗寺院

泉蔵院の概要

東寺真言宗寺院の泉蔵院は、照昌山大願寺と号します。泉蔵院は、平安時代に当地に住していた浪客豊田左近丞が天暦3年(949)に逝去、その妻女が出家し玄妙と称して薬師堂(すくも堂)を建立して創建、応安年間(1368-1375)に入り僧鎮栄が一寺として開山したといいます。

泉蔵院
泉蔵院の概要
山号 照昌山
院号 泉蔵院
寺号 大願寺
本尊 薬師如来
住所 小田原市下大井268
宗派 東寺真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



泉蔵院の縁起

泉蔵院は、平安時代に当地に住していた浪客豊田左近丞が天暦3年(949)に逝去、その妻女が出家し玄妙と称して薬師堂(すくも堂)を建立して創建、応安年間(1368-1375)に入り僧鎮栄が一寺として開山したといいます。

新編相模国風土記稿による泉蔵院の縁起

(下大井村)
泉蔵院
照昌山大願寺と號す、古義眞言宗、(金子村最明寺末、)本尊薬師、(長二尺七寸、行基作、)往古當所の隠士、豊田左近之丞と云者の寡婦、志願の旨ありて、天暦中起立すと云、其頃は小堂にして、土俗是をすくも堂と稱せしとぞ、
(縁起に據に、天慶の頃豊田左近之丞と云浪客あり、天暦三年二月十二日死す、法名一譽覺心と云、其妻剃髪し、玄妙と稱し、亡夫の爲、佛堂建立の志願を發し、在々所々を權化し、剏すくも夢すくもを乞て、遂に志を果し、薬師堂一宇を建立す、故にすくも堂と云と云へり、)
應安の初に至り、僧鎮榮再興して一寺となす、因て是を開山とす、(應安四年五月廿九日寂す、)中興辨明、(享和元年十二月五日寂す、)正保四年の鰐口を掲ぐ、(新編相模国風土記稿より)

「川東仏教会寺院名鑑」による泉蔵院の縁起

照昌山大願寺と号す。古義真言宗。金子最明寺末。本尊薬師如来。豊田左近丞と云者が天暦3年2月12日(949年)に死亡し(法名一誉覚心)、その妻剃髪し玄妙と称して亡夫の為、仏堂建立の志願を発し薬師堂(すくも堂)を建立する。応安の初になって(1368~1375年)、鎮栄という僧が再興して一寺となす。依って鎮栄を開山とする。(応安4年5月29日寂)中興辨明(享和元年12月5日寂)(「川東仏教会寺院名鑑」より)


泉蔵院の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 「川東仏教会寺院名鑑」