明鏡山大長院。小田原市扇町にある曹洞宗寺院
大長院の概要
曹洞宗寺院の大長院は、明鏡山と号します。大長院は、北條氏の家臣大藤長門守が開創したと考えられ、伊藤九郎右衛門祐孝(慶安3年1650年卒)が亡父長野内蔵頭源祐守(法名大長院梅林宗信大禅定門)の菩提を弔うために中興、早川村久翁寺4世松岩存龍が正保4年(1648)開山したといいます。
山号 | 明鏡山 |
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院号 | 大長院 |
寺号 | - |
本尊 | 正観音像 |
住所 | 小田原市扇町1-12-27 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大長院の縁起
大長院は、北條氏の家臣大藤長門守が開創したと考えられ、伊藤九郎右衛門祐孝(慶安3年1650年卒)が亡父長野内蔵頭源祐守(法名大長院梅林宗信大禅定門)の菩提を弔うために中興、早川村久翁寺4世松岩存龍が正保4年(1648)開山したといいます。
新編相模国風土記稿による大長院の縁起
(荻窪村)
大長院
明鏡山と號す、同宗(曹洞宗早川村久翁寺末、)正保四年建、開山松岩存龍(本寺四世、壬子正月十七日卒と云、寛文十二年なるべし)開基は長野内蔵頭源祐守(法名大長院梅林宗信大禅定門、寛永八年八月廿一日死、境内に墳墓あり、)にて實は祐守の子、伊藤九郎右衛門祐孝、(法名佛國院虚庵成空居士、慶安三年十一月十一日死、城内に墓あり、子孫今長野靱負と稱し一橋殿家人なり、)草建して、亡父を開基とせしなりと云、されど鬼籍には北條氏の臣大藤長門守開闢の地なり、故に其姓名の文字を採用して院號とすとあれば、正保四年中興せしなるべし、本尊正観音、(新編相模国風土記稿より)
大長院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿