善光寺。足柄三十三観音霊場20番霊場
善光寺の概要
浄土宗寺院の善光寺は、華葉山龍雲院と号します。善光寺は、明治16年沼田西念寺の松蔭宣龍上人の発願により、廃寺となった浄土宗龍雲寺の跡地に創建したといいます。足柄三十三観音霊場20番霊場です。
山号 | 華葉山 |
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院号 | 龍雲院 |
寺号 | 善光寺 |
本尊 | 阿弥陀来像 |
住所 | 小田原市栄町2-15-34 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善光寺の縁起
善光寺は、明治16年沼田西念寺の松蔭宣龍上人の発願により、廃寺となった浄土宗龍雲寺の跡地に創建したといいます。
笠守稲荷神社掲示による善光寺の縁起
笠守稲荷神社縁起
当笠守稲荷神社は、元小田原寺町(現中町)に天正八年創立の花葉山一乗院龍雲寺と云う寺あり、その境内に安置されてあった。伝える処によると、木曽義仲の夫人巴御前(栢山善栄寺に墳墓あり)が偶々この街道を通りかかりし時、計らずも悪者に襲われ一命に関する折、一匹の白狐現われ身を菅笠に変じて危難を救い無事過ぎ行く事が出来たる由、その縁をもって人々同地に祠を造り笠守稲荷としって崇め多くの人々から敬信され年月を経て来ましたが、その後故あって龍雲寺が本寺である誓願寺に合併され、廃寺になっておりました処明治十六年足柄上郡沼田西念寺の松蔭宣龍上人の発願により現在の地に新寺建立を志し有縁の信徒により新寺建立寺名を改めて華葉山、龍雲院善光寺と稱してその折、祠を寺門に移し鎮守として護って来ました。その後新道も開けて商店街も発展し、偶々有志の人々と協議し町内の鎮守として永く祀らんと現在地に移し、篤信者の援護により堂宇完成人々の参詣後を絶たず当時近くに遊廓新開地有り婦人等の敬信殊に厚く何時しか笠守が変じて瘡守と呼ばれる様になりましたが幾星霜時代も変わりましたので其の後旧名に改め笠守稲荷として人々の篤き信仰の表徴として永く加護される様になりました。(笠守稲荷神社掲示より)
新編相模国風土記稿による龍雲寺について
(荻窪村)
龍雲寺
花業山一乘院と號す、同宗(浄土宗)(小田原一町田町誓願寺末、)天正八年龍雲了詮開山す、(登蓮社光譽と號す、文禄元年八月十五日卒、)本尊阿彌陀、又正觀音を安ず、(朝日觀音と號し、木曾義仲守護佛と傳ふ、正徳二年十世寮道の時より傳来すと云、)
△稲荷社(新編相模国風土記稿より)
善光寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿