酒匂山南蔵寺。北条政子出産に際し祈祷を命じられた寺院
南蔵寺の概要
真言宗東寺派寺院の南蔵寺は、酒匂山不動院と号します。南蔵寺の創建年代等は不詳ながら、かつては当地より400mほど離れた地にあり福田寺と号していたといいます。鶴岡海光院を開山した武蔵阿闍梨義慶が建久年間(1190-1199)の初めに当寺へ隠栖、源頼朝は義慶に帰依していたことから、北条政子の出産に際して建久3年(1192)祈祷を命じられています。その後いつしか南蔵寺と称し、江戸時代の万治3年(1660)には総本山仁和寺より令旨を与えられて「龍光山」と号していたこともあったといいます。
山号 | 酒匂山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 南蔵寺 |
本尊 | 十一面観音像 |
住所 | 小田原市酒匂2-44-35 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
南蔵寺の縁起
南蔵寺の創建年代等は不詳ながら、かつては当地より400mほど離れた地にあり福田寺と号していたといいます。鶴岡海光院を開山した武蔵阿闍梨義慶が建久年間(1190-1199)の初めに当寺へ隠栖、源頼朝は義慶に帰依していたことから、北条政子の出産に際して建久3年(1192)祈祷を命じられています。その後いつしか南蔵寺と称し、江戸時代の万治3年(1660)には総本山仁和寺より令旨を与えられて「龍光山」と号していたこともあったといいます。明治維新後の神仏分離令まで酒匂神社(旧駒形神社・八幡社)の別当を勤めていました。
新編相模国風土記稿による南蔵寺の縁起
(酒匂村)
南蔵寺
酒匂山(中古龍光山と改めしことあり、こは萬治三年六月、仁和寺門主當寺へ寄與あり、其頃境内北隅に、龍燈出現の古松ありしを以て、酒匂山を改め、龍光山と號すべき由、令旨を賜はれり、後天明二年の回禄に令旨烏有となり、又龍燈松も枯槁せしかば、舊號に復すと云、)不動院と號す、古義眞言宗(國府津村寶金剛寺末)、寺傳に古は福田寺と號し、寺地も今の所在より、四五町を隔てゝあり(村内不動免と呼ぶ水田是なり今も當寺の持にて、租地なり)、今の寺號に改めし年代詳ならず、建久の初、鶴岡海光院(供僧十二院の一)の開山義慶(武蔵阿闍梨と號す)、當寺へ隠栖す、慶は賴朝卿の歸依僧なりしかば、同三年八月、御臺所平産の祈禱を命ぜらる(【東鑑】曰、八月九日、御臺所御産氣、鶴岡神社佛寺、奉神馬、被修誦經、福田寺酒匂、按ずるに、佛閣十五寺の一なり)、本尊十一面觀音(木立像、長二尺四寸、村内駒形八幡兩社の本地佛なり、寺記に像の中心に、本尊再興、當寺別當法印實紹、伊豫阿闍梨隆賢、應永七庚辰年七月日と記すとあれど、今秘佛なれば、見るべからず、)又不動を置(長六寸四部、智證大師作、もと村内別堂に置しが、元禄十六年地震に堂宇破れし後、爰に安ず、)
△地蔵堂(新編相模国風土記稿より)
南蔵寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿