東光院。小田原市曽我原にある真言三宝宗寺院
東光院の概要
真言三宝宗寺院の東光院は、瑠璃山南谷寺と号します。東光院の創建年代等は不詳ながら、往古は劔澤川の東側の字東畠にあったと伝えられ、文禄2年(1593)当地へ移転したといいます。昭和29年真言三宝宗に改宗しています。
山号 | 瑠璃山 |
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院号 | 東光院 |
寺号 | 南谷寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 小田原市曽我原261 |
宗派 | 真言三宝宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東光院の縁起
東光院の創建年代等は不詳ながら、往古は劔澤川の東側の字東畠にあったと伝えられ、文禄2年(1593)当地へ移転したといいます。昭和29年真言三宝宗に改宗しています。
「川東仏教会寺院名鑑」による東光院の縁起
真言宗真言三宝宗派
当山は往古別所字東畠に建立されたが文禄2年恵誉法印、大施主中村家の喜捨により現在の地に移す。山号瑠璃山、寺号南谷寺といい現号東光院はその塔中といわれる。本尊薬師三尊、不動明王をまつり大護摩秘法を修し下曽我村民の現世安穏、五穀豊穣を祈ると伝わる。近年は兵庫県宝塚市にある清荒山神清澄寺(鉄斎寺・真言宗十八大本山の一つ)との仏縁により昭和29年真言三宝宗に改め諸堂を再建・修復し今日まで法燈を守る。(「川東仏教会寺院名鑑」より)
新編相模国風土記稿による東光院の縁起
(曾我原村)
東光院
瑠璃山南谷寺と號す、古義眞言宗、(國府津村寶金剛寺末、)古は劔澤川の東に在しが、(舊地は陸田を開き、寺畑と字す、)文禄二年中興惠譽今の地に移すと云、本尊薬師、(木立像、長二尺、行基作、)
△鐘樓 鐘は元禄十五年の鑄造なり、
△神明天神合社(新編相模国風土記稿より)
東光院の縁起
- 徳本の名号碑ほか石造物群
徳本の名号碑ほか石造物群
徳本(一七五八-一八一八)は日課として弥陀の六字名号を唱えることを教、江戸で教化していた頃は、毎日数千の群集に囲まれたという。この碑は天保五年(一八三四)の造立で徳本没後一六年を過ぎているが、裏面には足柄平野一体の各地の信者の名が、一面に刻まれており、なお信仰が衰えていないことが知られる。石幢型六地蔵は笠付六角柱の各面に地蔵の立像を浮き彫りにし、文化二年(一八〇五)の銘がある。もとは大山道沿いに祀られていた。山門を入って左手に木造の小祠があり、中に延命地蔵と呼ばれる石像地蔵菩薩立像が祀られている。(小田原市教育委員会掲示より)
東光院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」