田島地蔵堂。永禄3年に美作国から勧請
田島地蔵堂の概要
寺院の田島地蔵堂は、杉崎氏の先祖が、永禄3年(1560)に美作国から勧請、建立したと伝えられ。明治維新後には小学校の分校としても使用されたといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 小田原市田島 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
田島地蔵堂の縁起
田島地蔵堂は、杉崎氏の先祖が、永禄3年(1560)に美作国から勧請、建立したと伝えられ。明治維新後には小学校の分校としても使用されたといいます。
境内掲示による田島地蔵堂の縁起
田島地蔵尊
田島の地蔵尊は、古くから紺屋(杉崎正五氏宅)の地蔵さんと呼ばれて、毎年1月と7月(明治以後8月)の地蔵縁日には、近郷72ヶ村の信奉者によって盛大に供養が行なわれていた。
田島の地蔵尊は、永禄3年(1560年)に杉崎氏の先祖が、美作国(岡山県北東部)から勧請したといわれ、その際立派な地蔵堂も建立され、地蔵供養が行われていた。
近代になって、県道松田国府津線が地蔵堂境内を横断することになり、かつては小学校の分校として使用された立派なお堂も、やむなく縮小されてしまい、以後年2回の地蔵縁日に、老人による念仏が行われる程度のなってしまった。
しかし、近年地元子供会の協力もあって、有志手作りの灯籠を道路沿いに飾り、堂前に祭り提灯を掲げて、地蔵供養が行われるようになった。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による田島地蔵堂の縁起
(田島村)
地蔵堂
一徳寺持、(新編相模国風土記稿より)
田島地蔵堂の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」