大沼神社。相模原市南区東大沼の神社
大沼神社の概要
大沼神社は、相模原市南区東大沼にある神社です。大沼神社は、元禄12年(1699)から開発が始められた大沼新田の鎮守として享保21年(1736)に辨財天と称して創建、明治4年に大沼神社と改称したといいます。
社号 | 大沼神社 |
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祭神 | 市杵島姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 相模原市南区東大沼2-10-5 |
祭日 | 例大祭10月第1日曜日 |
備考 | - |
大沼神社の由緒
大沼神社は、元禄12年(1699)から開発が始められた大沼新田の鎮守として享保21年(1736)に辨財天と称して創建、明治4年に大沼神社と改称したといいます。
「さがみはら風土記稿」による大沼神社の由緒
大沼神社は東大沼2丁目にあります。その名のとおり昭和30年代までは神社の裏手に水をたたえた「大沼」がありましたが、現在では埋め立てられて住宅地となっています。
元禄12年(1699)、淵野辺村と木曽村(町田市)の村人により、この沼周辺の新田開発がはじまりました。いわゆる「大沼新田」です。その新田村の鎮守として享保21年(1736)に勧請されたのがこの大沼神社です。ただし、当時は「大沼弁財天」と呼ばれており、現在でも神社を囲む堀にかかる「弁天橋」のたもとには、文政10年(1827)に造られた「辨財天」の石塔が立っています。これが大沼神社と改称されたのは明治4年のことです。
さて、この神社で起きたとされる珍事を紹介しましょう。安政4年(1857)の夏、大暴風により境内の樹木が何本か倒れてしまったため、これを伐採して売りに出すことになりました。ところが、いざ伐採をはじめるとたちまち地鳴りが響きわたり、倒れていた大木がむくむくと起きあがり、もとの通りに立ってしまったといくのです。この不思議な出来事は大評判になり、境内は参詣者が絶えなかったといわれています。(「さがみはら風土記稿」より)
「神奈川県神社誌」による大沼神社の由緒
第十二代・景行天皇の皇子であらせられる日本武尊が御東征の時、大沼にて災難に遭われ、この時、鎮の神として日本武尊により勧請されたと伝えられている。
又、建武元年(一三三四)南朝の忠臣・小山田小太郎の敬神の念篤く、「相模国大沼弁財天」を守護神として出陣の折、欅製の木版を作製したものが起元であるとも伝えられている。(「神奈川県神社誌」より)
新編相模国風土記稿による大沼神社の由緒
(淵野辺村)
辨天社
別當武州多磨郡木曾村覺圓坊持 (「新編相模国風土記稿」より)
大沼神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿
- 神奈川県神社誌