覺圓坊|町田市木曽西にある天台寺門宗寺院

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吉祥山覺圓坊|園城寺塔中六百二十一坊中の一寺、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所

覺圓坊の概要

天台寺門宗寺院の覺圓坊は、吉祥山と号します。覺圓坊は、園城寺塔中六百二十一坊中の一寺で、園城寺第二十三代長吏覺圓僧正が、園城寺(三井寺)中の金堂(現在国宝)裏に康平6年(1063)開基、観応2年(1351)当地へ移転、近郷の本山派修験の觸頭として数多くの末寺を擁していたといいます。明治維新により多くの修験道寺院は廃寺となりましたが、現在も天台寺門宗の祈祷寺として残ります。
武相卯歳観音霊場四十八ヶ所33番です。

覺圓坊
覺圓坊の概要
山号 吉祥山
院号 達蔵院
寺号 住善寺
住所 町田市木曽西4-7-33
宗派 天台寺門宗
葬儀・墓地 -
備考 -



覺圓坊の縁起

覺圓坊は、園城寺塔中六百二十一坊中の一寺で、園城寺第二十三代長吏覺圓僧正が、園城寺(三井寺)中の金堂(現在国宝)裏に康平6年(1063)開基、観応2年(1351)当地へ移転、近郷の本山派修験の觸頭として数多くの末寺を擁していたといいます。明治維新により多くの修験道寺院は廃寺となりましたが、現在も天台寺門宗の祈祷寺として残ります。

新編武蔵風土記稿による覺圓坊の縁起

(木曾村)矢幹八幡社別當覺圓坊。
除地、五畝十一歩、本村にあり、京都聖護院末、本山修験の觸頭なり、吉祥山住善寺達蔵院と號す、開山は傳燈阿闍梨、明徳三年五月寂。
神輿堂。境内にあり、六尺四方にして、茅葺なり、八幡の神輿をここに納む。
観音堂。これも境内にあり、三間半に五間正観音の木像を安す、長三尺ばかり行基の作と云、この観音免田三畝二十七歩あり。(新編武蔵風土記稿より)

「町田市史」による覺圓坊の縁起

住善寺-廃寺(木曾町)
所在地 町田市木曾町下宿。
宗派 本山修験、京都聖護院末。
山寺号 吉祥山達蔵院住善寺。覚円坊とよぶほうがわかるのだがこれには近江三井寺に「仲菴記」とよぶ左の古記録があり、それによると、康平六年(一〇六三)覚円僧正開基によって、その名があったことがわかる。すなわち、
記云達蔵坊者元是園城寺塔中六百二十一坊中、遙在金堂裏、康平六癸卯月覚円僧正
開基也。伝本尊重観世音者、行基六拾霜刻之座形三尺斗也。然間永保一元辛酉年午
月延暦寺山徒激令園城寺南中北三院附焼於夜中一炬。法禅院大信房云達蔵坊本尊遁
生地鈴鹿北商飯道麓造一草房云達蔵坊也。而経星霜幾却頻衰減。観応二辛卯年在僧
義照移粟津中之里木曾義仲墓所義仲菴後別創菴而安置焉。然所武州法印砌聖護参勤
義仲菴上歩、乞而武州多麻移木曾義仲縁地、号達蔵院覚円坊(仲菴記)
がこれである。したがって、開山伝燈阿闍梨とある人が、この仲菴記にある武州法印で、武州法印は明徳三年(一三九二)五月示寂と『武蔵風土記稿』にあるから、観応二年(一三五一)と明徳三年の四一年の間のいずれの年かに、木曾町の現在地に移祀されたことが明らかである。しかして、明治元年三月一七日の太政官布告の
「今般王政復古旧弊御一掃被為在候ニ付諸国大小神社ニ於テ、僧形ニテ別当或ハ社僧杯へ相唱へ候輩ニ復飾被仰出候云々」
により修験道廃止廃寺となり触頭石川氏は民間に下った。ただし境内にあった観音堂が木曾観音と呼ばれ今日なお残っている。
観音堂 間口四間、奥行四間、二間の向拝あり。寄棟御堂造り。木造亜鉛葺。三方に三尺のぬれ縁をめぐらす。本尊観音は座像高三尺。行基作と言うが、昭和三四年東京都文化財調査の際、江戸初期の作とされた。また、堂内に役行者像が祀られてある。この木曾観音は矢拾観音ともよばれ、「箭幹社八幡宮記」の一節に、
義賢急に利あり。隊を破りて伍となし、歩戦して其不意を襲ふ。義平窘窮して弓折れ矢尽き倉遑計なく進退谷まる。時に義容の老翁、優柔丰満の童子忽然として来り、四方雨集の矢を拾ふ。両軍驚き之を見れば遽々然として見えず。即ち知る。老翁は其処鎮守の入幡ならんか。童子は此処の観音薩埵ならんか。二将共に感じて渭陽の義を全ふせんことを薩埵明神に誓ひて和睦す。ここに矢拾観音とす
とあって、古くから伝承されてきたようである。(「町田市史」より)

境内掲示による覺圓坊の縁起

木曽の観音様として古くから親しまれてきましたこの寺は、もと近江国園城寺(三井寺)六百二十一坊中の一寺で、康平六年(一〇六三)園城寺第二十三代長吏覺圓僧正が、同寺中の金堂(現在国宝)裏に開基せられ本尊聖観世音菩薩(坐像三尺)は「僧行基六十歳これを刻む」と伝えられています。
縁あって観応二年(一三五一)武州多摩郡木曽の当地に移され、多摩郡の霞頭となり三井修験の教勢大いに振い武相観音霊場の第三十三番札所となり、多くの人々から尊崇せられ「ここぞ三十三菩薩心」と詠わるに至り、信心の男女礼拝を重ね、六百四十余年の信仰を今日に伝えています。(境内掲示より)


覺圓坊の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「町田市史」