磯部勝坂石楯尾神社。旧称羽黒権現社
磯部勝坂石楯尾神社の概要
石楯尾神社は、相模原市南区磯部にある神社です。部勝坂石楯尾神社の創建年代等は不詳ながら、勝坂集落の旧家が守り神としてその鬼門の方角に建てたものではないかといわれ、羽黒権現社と称していたといいます。明治維新後に石楯尾神社と改称しています。
社号 | 石楯尾神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
合祀 | - |
境内社 | 秋葉社 |
祭日 | 例大祭10月5日 |
住所 | 相模原市南区磯部2137 |
備考 | - |
磯部勝坂石楯尾神社の由緒
磯部勝坂石楯尾神社の創建年代等は不詳ながら、勝坂集落の旧家が守り神としてその鬼門の方角に建てたものではないかといわれ、羽黒権現社と称していたといいます。明治維新後に石楯尾神社と改称しています。
新編相模国風土記稿による磯部勝坂石楯尾神社の由緒
(磯部村)
羽黒權現社
祭禮八月十五日、座間入谷村大坊持、
末社。秋葉(新編相模国風土記稿より)
「さがみはら風土記稿」による磯部勝坂石楯尾神社の由緒
この石楯尾神社は磯部勝坂地区の鎮守として、集落を見下ろす丘の頂きにあります。
阿闍羅尊の石仏が脇に立つ鳥居をくぐると長い参道がつづき、途中、明和5年(1768)の延命地蔵があることに気がつきます。これはその頃ここに比丘尼が住んでおり、その人がまつったものだといわれています。
その地蔵を横目に見ながらさらに進むと121段にもおよぶ長い石段があり、これを息を切らして登りきると、いよいよ石楯尾神社があらわれます。
この神社が石楯尾神社という名称になったのは明治のはじめ頃のことで、それ以前は「羽黒権現社」と称されていました。羽黒山(山形県)は修験道の霊地であるため、おそらくこの神社の境内でも江戸期には盛んに山岳修行が行われていたのでしょう。
この神社の創建は明らかではありませんが、勝坂集落の旧家が守り神としてその鬼門の方角に建てたものではないかといわれています。
なお、式内社の中に石楯尾神社の名が見られますが、それはこの神社ではなく、藤野町にある石楯尾神社ではないかというのが一般的な見方とされています。(「さがみはら風土記稿」より)
神奈川県神社誌による磯部勝坂石楯尾神社の由緒
創立年月日は不詳であるが、往時より村の鎮守として樹木鬱蒼と茂る羽黒山頂に鎮座し、別名羽黒山大権現と称した。寛政十二年(一八〇〇)八月、社殿を再建し、天保五年(一八三四)二月に社殿の修復を行う。又同年製造した釣鐘もあったが、戦争中献納し今はない。弘化四年(一八四七)に永代常夜燈、安政七年(一八六〇)八月、秋葉山講中建立の石碑、文久元年(一八六二一)十二月手水鉢等の奉納があった。
明治五年八月に覆殿と拝殿を改築したが、現存している拝殿天井の龍の絵は、明治五年に地元の中村大吉氏の描いたものである。大正十三年一月に鳥居を、昭和二年十一月に覆殿を改築した。かつて、釣鐘堂付近に聳えていた樹齢推定約五百年の松は、枯損によりやむなく昭和三十四年に伐採した。昭和三十五年四月、拝殿の草葺屋根を亜鉛板葺に改築した。昭和四十九年十一月、地元の氏子山田市敬者・中村正衛氏の寄進により、参道の舗装、石坂の改修を行い、整備が行われた。(神奈川県神社誌より)
磯部勝坂石楯尾神社の周辺図
関連ページ
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿
- 神奈川県神社誌