南台二宮神社。相模原市南区南台の神社
南台二宮神社の概要
南台二宮神社は、相模原市南区南台にある神社です。南台二宮神社は、八家族が移住して当地を開拓、終戦後昭和22年に開拓者の2世が小田原市の報徳二宮神社を勧請して創建したといいます。
社号 | 南台二宮神社 |
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祭神 | 二宮尊徳 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 相模原市南区南台5-9-5 |
祭日 | 例大祭9月5日 |
備考 | - |
南台二宮神社の由緒
南台二宮神社は、八家族が移住して当地を開拓、終戦後昭和22年に開拓者の2世が小田原市の報徳二宮神社を勧請して創建したといいます。
「さがみはら風土記稿」による南台二宮神社の由緒
この神社は小田急線小田急相模原駅にほど近い県道沿いにあります。
明治13年、綾瀬村蓼川の実業家平出富士太郎は一面原野であったこの地の開発を思い立ち、鈴木孫七ら協力者を募って耕地を切り聞きました。これは富士太郎の出身地の名をとって「蓼川新開」、あるいはこの地が上鶴間村の中和田集落の範囲だったので「中和田新開」と呼ばれていました。
その後、昭和4年の小田急の開通、さらには旧日本陸軍の病院や学校の移転・新設により地域一帯もしだいに活気を見せるようになりました。
やがて終戦を迎えた昭和20年、すでに入植者2世となった地域の人々は地域の活性化を願い、神社を創建することを思い立ちました。そこで有志を募って松林を整地し、2年後に小田原市の報徳二宮神社より分霊を受けて神社を創建しました。それが現在の二宮神社です。
この神社の祭神はその名のとおり江戸末期に農政家として活躍した二宮尊徳(幼名は金次郎)です。そのため境内には薪を背負いながら本を読む二宮金次郎の像が奉納されています。この像は歴史の古い小学校の校庭でよく見かけますが、神社の境内となると市内ではここだけで見られるものです。(「さがみはら風土記稿」より)
「神奈川県神社誌」による南台二宮神社の由緒
明治十三年に開拓者の八家族が移住し村作りを始めた。終戦後、心のよりどころとして神社の設立に着手し、昭和二十二年四月二十二日に完成、翌二十三日に小田原城内鎮守の報徳二宮神社を勧請した。現社殿は昭和四十四年十一月十三日に再建したものである。(「神奈川県神社誌」より)
南台二宮神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿
- 神奈川県神社誌