報徳二宮神社。戦後に報徳二宮神社の分霊を奉祀
報徳二宮神社の概要
報徳二宮神社は、相模原市南区相模大野にある神社です。報徳二宮神社は、太平洋戦争終戦後に当地が発展を始めたころに小田原市の報徳二宮神社の分霊を仮宮に奉祀、昭和50年に社殿を新築して報徳二宮神社としたといいます。
社号 | 報徳二宮神社 |
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祭神 | 二宮尊徳 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 相模原市南区相模大野6-11-25 |
祭日 | 例大祭8月24日 |
備考 | - |
報徳二宮神社の由緒
報徳二宮神社は、太平洋戦争終戦後に当地が発展を始めたころに小田原市の報徳二宮神社の分霊を仮宮に奉祀、昭和50年に社殿を新築して報徳二宮神社としたといいます。
「さがみはら風土記稿」による報徳二宮神社の由緒
小田急線相模大野駅の周辺は、近年では目を見張るほどの発展を見せています。
しかし、昭和2年、小田急線が開通した頃はこのあたりには人家は何軒もなく、さつまいも畑だけが広がっているまったく殺風景なところでした。
ところが、昭和10年代になると陸軍の学校などが次々と近辺に移転をしてくるようになり、昭和13年に「通信学長駅」 (現在の相模大野駅)が新設されると、駅前にはそば屋・パン屋・洋服屋などがポツリポツりと軒を並べるようになりました。
そんな軍事色の濃い町も、終戦を迎がえると帝国女子専門学校(現在の相模女子大学)の移転など明るい話題が持ち上がり、人々も地域の発展と一致協力を願うため、神社を創建することとなりました。そこでさっそく小田原市の報徳二宮神社から分霊を受け、小さな神社をまつりましたが、それは仮宮だったため、それから30年あまりが経過した昭和50年に人々の協力により改めて社殿が新築されました。それが現在の報徳二宮神社です。
相模大野3丁目、にぎやかな駅前のすぐはずれに、ほんのひとときの静けさを楽しめる空間があるのです。(「さがみはら風土記稿」より)
「神奈川県神社誌」による報徳二宮神社の由緒
祭神・二宮尊徳翁は小田原市栢山に生れ、小田原藩主・大久保忠真公の抜擢により身を起こし、富国安民の方法を設け、諸藩の財政を整理し、荒蕪を開拓し、産業を振興し、報徳の教により、勤労、分度、推譲の美風を養成し、その功業は一生に卓越した。
滋に第二次大戦後、終戦の世相混乱の中にあって、二宮尊徳翁の御徳を蒙り、人心の安定と地域住民の発展と一致協力を念じて、二宮尊徳翁の御分霊を小田原市域内の報徳二宮神社より奉戴し、久しく仮宮に奉記されていたが、氏子崇敬者の熱誠により、昭和五十年八月、大望の御社殿を完成させ、新殿に御遷座され、地域住民の心の拠所となっている。(「神奈川県神社誌」より)
報徳二宮神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿
- 神奈川県神社誌