新戸日枝神社。旧新戸村の鎮守社
新戸日枝神社の概要
新戸日枝神社は、相模原市南区新戸にある神社です。新戸日枝神社の創建年代等は不詳ながら、集落の中央に位置、白山姫神社と共に旧新戸村の鎮守社として祀られ、雹除けの「氷祭」が行われていたといいます。
社号 | 日枝神社 |
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祭神 | 大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 相模原市南区新戸2459 |
祭日 | 例大祭8月26日 |
備考 | - |
新戸日枝神社の由緒
新戸日枝神社の創建年代等は不詳ながら、集落の中央に位置、白山姫神社と共に旧新戸村の鎮守社として祀られ、雹除けの「氷祭」が行われていたといいます。
新編相模国風土記稿による新戸日枝神社の由緒
(新戸村)山王社
是も鎮守なり、稲荷兒明神(祭神詳ならず)の二神を相殿とす、例祭九月十五日、又白山と同く永祭の神事あり、(新編相模国風土記稿より)
「さがみはら風土記稿」による新戸日枝神社の由緒
この日枝神社は、旧新戸村の鎮守として集落のほぼ中央に位置しています。
神社の前には鳩川が流れ、参道は昭和24年に改修された「日枝神橋」を渡ってつづいています。
その先の数段の石段を上がると社殿があり、中を覗くと丸石を納めた小さな祠がまつられているのを見ることができます。
さて、『風土記稿』を見ると、江戸時代にはこの神社は「山王社」と呼ばれていたことがわかります。また、同じく新戸村の白山姫神社とともに「氷祭の神事」が行われていたようです。「氷祭」は現在では行われていませんが、おそらく農作物に害を与える雹除けの祭りのことでしょう。
この神社の境内に最近、「第六天社」の石祠が建てられました。
第六天社とは災害除けの神ですが、新戸村では字「第六天原」と呼ばれる丘の上にまつられていました。ところが戦時中にそこが陸軍士官学校の敷地となり、境内地・社殿は接収され、戦後も米軍キャソプ地内となったため、再建することもままならずに時を過ごしていました。
そこで地域の人々が協力し、日枝神社境内に新たに遷座し直すこととして、戦後30数年を経て再びここに祀られるようになったものです。(「さがみはら風土記稿」より)
新戸日枝神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿