惣吉稲荷神社。相模原市南区上鶴間本町の神社

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惣吉稲荷神社。大岡吉十郎義の忠僕惣吉、市指定文化財の板碑

惣吉稲荷神社の概要

惣吉稲荷神社は、相模原市南区上鶴間本町にある神社です。惣吉稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、当初は当地にあった西光寺の境内社として祀られ、西光寺は地頭大岡吉十郎義成(慶長4年1599年沒)が浄土宗寺院として建立されたものと思われることから、安土桃山時代の子創建が窺えます。大岡吉十郎義成没後、忠僕惣吉が寺男を務め、生涯をその墓守りに捧げたことから、いつしか惣吉稲荷神社と呼称されるようになったといいます。また、当社境内の延文4年(1359)銘板碑は、付近の鎌倉古道の路傍に建っていたものと思われ、相模原市文化財に指定されています。

惣吉稲荷神社
惣吉稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 相模原市南区上鶴間本町8-42-8
祭日 2月初午日
備考 -



惣吉稲荷神社の由緒

惣吉稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、当初は当地にあった西光寺の境内社として祀られ、西光寺は地頭大岡吉十郎義成(慶長4年1599年沒)が浄土宗寺院として建立されたものと思われることから、安土桃山時代の子創建が窺えます。大岡吉十郎義成没後、忠僕惣吉が寺男を務め、生涯をその墓守りに捧げたことから、いつしか惣吉稲荷神社と呼称されるようになったといいます。

新編相模国風土記稿による惣吉稲荷神社の由緒

(上鶴間村)
西光寺
無量山と號す、前寺末(泉龍寺末)昔は浄土宗なりと伝ふ、開山を石岑と云ふ、明暦元年十月廿二日寂す、本尊彌陀を安ず地頭大岡氏祖先吉重郎義成夫婦の位牌を置く。
稲荷社。(新編相模国風土記稿より)

「さがみはら風土記稿」による惣吉稲荷神社の由緒

惣吉稲荷は鶴間小学校の東側、「鎌倉道」と呼ばれる古道の上にあります。もともとここには無量山西光寺という寺院があり、そのため境内には徳川家譜代大岡義成夫妻の墓碑が残されています。この大岡家には惣吉という忠実な男が仕えていました。惣吉は主人没後も寺男としてその墓を守りとおしたため、その忠義心に感動した人々が残された稲荷社に惣吉の名を付けたと伝えられています。
なお、境内には貴重な延文4年(1359)の画像板碑も保存されています。(「さがみはら風土記稿」より)

境内掲示による惣吉稲荷神社の由緒

1.惣吉稲荷神社の稱号については、往時当神社の北側に浄土宗の無量山西光寺が在り、この寺については三州岡崎出身の徳川家譜代の家臣で地頭大岡吉十郎義成夫妻の位牌があったといわれる。
義成は天正十九年(一五九一年)五月上鶴間村の一分参百石の扶持が與えられ村の草分けである高木及び小木の両氏を名主に用いて領地の運営を司り、のちに扶持参百参十石に加増され慶長四年(一五九九年)四十二才で歿した。
当神社境内の西側に並んで現存する義成夫妻の墓碑は、二代作左衛門が建てたものである。
大岡家には惣吉という稀にみる実直な忠僕があり主家に仕えて忠誠のまことを盡し、義成歿後は自ら進んで西光寺の寺男となり生涯をその墓守りに捧げた。
のちに、西光寺は、末社である稲荷神社を残して廃寺となったが、忠僕惣吉の誠忠善行と篤い信仰心を賛え敬慕尊敬した人達は「惣吉稲荷神社」と命名したという伝承もある。
1.当神社創立年月日は不詳であるが、後記所蔵板碑の年号からすれば、延文四年(一三五九年)と思われ、又前記西光寺の開山と同時に設立されたとすると明暦元年(一六五五年)であり、なお、新編武蔵風土記稿にも明暦元年と記載されていること等を綜合して考察すると明暦元年の創立ではないかと推察される。
忠僕惣吉を合祀して惣吉稲荷神社と命名呼稱した年月については不詳であり、往時の社殿は、集落が段丘の下にあった関係上東向であったものが、昭和五十六年に西向に新築され今日に至っている。
1.所蔵板碑二枚は、延文四年(一三五九年)の位牌で往時鎌倉古道がすぐ近くを通っており当時はその路傍に建っていたものと思われる。
板碑の高さは、一・一五メートル、幅は三十五センチメートルで阿彌陀如来は頭部の周辺に光輪を戴き、それには二十二本の線光背が浮き彫りされている。
主尊は上品下生の来迎を結び、左脇侍観音菩薩は蓮台を捧げ、右脇侍勢至菩薩は合掌して各々やや横向で飛雲に乗っている。
下部の紀年銘の両側には梵字で、光明真言が刻まれている。(境内掲示より)


惣吉稲荷神社所蔵の文化財

  • 中和田延文四年の板碑(双碑)(市指定重要文化財)

中和田延文四年の板碑(双碑)

の地にはもと、無量山西光寺という寺があり、地頭大岡吉十郎義成夫妻の位牌が安置してあったといわれる。義成没後下男惣吉というものが寺男となりその墓を守り一生を捧げたと伝えられる。西光寺廃寺の後、末社の稲荷を残惣吉稲荷と命名した。現在境内に大岡夫妻の墓石がある。またこの社に所蔵されている延文四年(一、三五九)の板碑は付近の鎌倉古道の路傍に建っていたものと思われ、板碑の大きさ、図がら梵字等、我が国有数のものと思われる。(相模原市教育委員会掲示より)

惣吉稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • さがみはら風土記稿