中和山泉龍寺。武相卯歳観音霊場
泉龍寺の概要
曹洞宗寺院の泉龍寺は、中和山と号します。泉龍寺は、浄土宗西光庵を、日洲(永禄3年1560年寂)・雪天透瑞(天正14年1586年寂)が曹洞宗に改めて泉龍寺と改号、それぞれ開基・開山となったといいます。5世石峯は西光寺を、6世朝山は常念寺・東光寺を、8世梅岩は常楽寺を上鶴間本町村内に創建したといいます。武相卯歳観音霊場四十八ヶ所17番です。
山号 | 中和山 |
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院号 | - |
寺号 | 泉龍寺 |
本尊 | 釈迦牟尼佛 |
住所 | 相模原市南区上鶴間本町8-54-21 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
泉龍寺の縁起
泉龍寺は、浄土宗西光庵を、日洲(永禄3年1560年寂)・雪天透瑞(天正14年1586年寂)が曹洞宗に改めて泉龍寺と改号、それぞれ開基・開山となったといいます。5世石峯は西光寺を、6世朝山は常念寺・東光寺を、8世梅岩は常楽寺を上鶴間本町村内に創建したといいます。
平成さがみはら風土記稿による泉龍寺の縁起
泉龍寺は、上鶴間本町のバス停「上鶴間本町高校入口」より北東へ400m、境川を背にした曹洞宗の寺院です。
『風土記稿』によると、円福寺(川崎市)の末寺で、山号を中和山といい、釈迦如来を本尊としています。
また、開基を日洲〔永禄3年(1560)没〕、開山を雪天透瑞〔天正14年(1586)没〕としています。
しかし寺伝では、創建は南北朝時代にさかのぼり、当時は浄土宗の西光庵という堂字であったものを日洲・雪天透瑞が開いた時に曹洞宗に改宗し、その名も泉龍寺に改めたものだと伝えています。
また、すでに廃寺となっていますが5世石峯の時に西光寺を、6世朝山の時に常念寺と東光寺を、そして8世梅岩の時に常楽寺という寺を開き、当寺の末寺にしたと伝えられています。
当寺の本尊である木造釈迦如来坐像は、その胎内銘によると、脇侍の文珠・普賢両菩薩像とともに北条高時の持仏であったが、北条氏の滅亡時に家臣である小木宮内や阿部三左衛門たちによりこの地に持ち込まれた、ということのようです。
境内にはまだ新しい建築ですが、荘厳な仁王門や三重塔などがあります。また、墓地には宝徳元年(1449)の墓石があり、これは市内最古の墓石といわれています。(平成さがみはら風土記稿より)
新編相模国風土記稿による泉龍寺の縁起
(上鶴間本町村)泉龍寺
享禄年中起立す、中和山と號す、曹洞宗、武州橘樹郡作延村圓福寺末、開基は日洲永禄三年十月廿六日寂す、開山は雪天透瑞と云ふ、天正十四年正月廿一日寂す、按ずるに、此寺もと庵室なりしを此僧に至て法地とせしにや、故に古開山日洲を開基と稱するならん、本尊釋迦を安ず。
鐘楼。安永四年の鐘を懸く。白山社
西光寺
無量山と號す、前寺末(泉龍寺末)昔は浄土宗なりと伝ふ、開山を石岑と云ふ、明暦元年十月廿二日寂す、本尊彌陀を安ず地頭大岡氏祖先吉重郎義成夫婦の位牌を置く。稲荷社。
常念寺
延命山と號す、本寺前に同じ、開山を朝山と云ふ、慶長九年三月廿九日寂す、地蔵を本尊とす。
東光寺
瑠璃山と號す、本寺前に同じ、開山は常念寺に同じ本尊は薬師なり。(新編相模国風土記稿より)
泉龍寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿