橋本山瑞光寺。本然学舎(旭小学校)開校地
瑞光寺の概要
曹洞宗寺院の瑞光寺は、橋本山と号します。瑞光寺は、下相原村の村民五左衛門の祖先勘十郎(法名瑞光月心、天正14年1586年没)が開基、聖山大祝(天正19年1591年寂)が開山となり創建したといいます。江戸時代には寺小屋が開かれ、明治6年(1873)からは本然学舎(旭小学校)が開校したといいます。
山号 | 橋本山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 瑞光寺 |
本尊 | 釈迦如来 |
住所 | 相模原市緑区元橋本町6-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
瑞光寺の縁起
瑞光寺は、下相原村の村民五左衛門の祖先勘十郎(法名瑞光月心、天正14年1586年没)が開基、聖山大祝(天正19年1591年寂)が開山となり創建したといいます。江戸時代には寺小屋が開かれ、明治6年(1873)からは本然学舎(旭小学校)が開校したといいます。
新編相模国風土記稿による瑞光寺の縁起
(橋本村)瑞光寺
是も橋本山と號す、曹洞宗(武州多磨郡上椚田村高乗寺末)開山を聖山大祝と云ふ(天正十九年三月十六日寂す)開基は瑞光月心と傳ふ(俗稱を勘十郎と云ふ、天正十四年十月三日死す、武州多磨郡下相原村の民、五左衛門の祖なり)本尊釋迦を安ず。
洪鐘。貞享四年の鑄造なり。
蠶影山(仏加介左牟)権現第六天合社。権現は常州筑波山麓、桑寺境内の社を勧請すと云ふ。
観音堂。百観音を安ず(新編相模国風土記稿)
平成さがみはら風土記稿による瑞光寺の縁起
瑞光寺は、元橋本町のバス停「橋本本町」より西へ200mにある曹洞宗寺院です。
『風土記稿』によると、高乗寺(八王子市)の末寺で、山号を橋本山といい、釈迦如来を本尊としています。
開山は聖山大祝〔天正19年(1591)没〕で、開基は瑞光月心〔天正14年(1586)没〕としています。この瑞光月心は俗称を勘十郎といい、武州下相原村(町田市)の人であったようです。
また、当時は境内に百観音を安置する観音堂や筑波山麓の桑寺から勧請した蚕影山権現などがあったようですが、現存していません。
当寺も古くから教育の場として活用され、江戸時代には寺小屋が開かれ、明治6年(1873)からは現在の旭小学校の前身ともいえる「本然学舎」が開校されています。ちなみに教育には当時の住職であった19世蔵宗があたっています。
昭和59年、当時の生徒の子孫らにより「本然学舎橋本学校開設の地」の記念碑が山門前に建てられました。(平成さがみはら風土記稿より)
瑞光寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿