磯平山能徳寺。田所治左衛門が開基、磯部城跡と伝承の地
能徳寺の概要
曹洞宗寺院の能徳寺は、磯平山と号します。能徳寺は、田所治左衛門が開基となり、寛応閑体(天正8年1580卒)を開山として永禄年間(1558-70)に創建、慶安2年(1649)には寺領7石6斗余の御朱印状を幕府より受領したといいます。江戸期には寺子屋が営まれ、明治維新後には「日新学舎」が開かれていました。なお、当地附近には、かつて長尾景春の磯部城が築かれていた地だと伝えられ、当地附近が主廓ではないかといいます。
山号 | 磯平山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 能徳寺 |
本尊 | 観世音菩薩像 |
住所 | 相模原市南区磯部425 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
能徳寺の縁起
能徳寺は、田所治左衛門が開基となり、寛応閑体(天正8年1580卒)を開山として永禄年間(1558-70)に創建、慶安2年(1649)には寺領7石6斗余の御朱印状を幕府より受領したといいます。江戸期には寺子屋が営まれ、明治維新後には「日新学舎」が開かれていました。なお、当地附近には、かつて長尾景春の磯部城が築かれていた地だと伝えられ、当地附近が主廓ではないかといいます。
平成さがみはら風土記稿による能徳寺の縁起
能徳寺は、磯部のバス停「磯部」より西へ300m、磯部頭首工の近くにある曹洞宗の寺院です。
『風土記稿』によると、天応院(本市下溝)の末寺で、山号を礒平山といい、観音菩薩を本尊としています。
また、開山は寛応(天正8年(1580)没)で、慶安2年(1649) に7石6斗余の朱印地を与えられています。
これについて寺伝では永禄年間(1558-70)に寛応閑体を開山、田所治左衛門を開基として創建されたと伝えています。
現在の本堂は、天井板の墨書より元禄11年(1698) に建てられたことがわかります。これは市内の寺院の中で確認できる最も古い建築であると考えられています。ちなみにこの本堂では江戸時代には寺小屋が、そして明治時代には「日新学舎」が開かれ、地域の児童教育の中心となっていました。
この地域には、古くから長尾景春の* 「磯部城」があったとの伝承があります。その位置は諸説がありますが、能徳寺付近がその主郭ではないかといわれています。
近年、当寺では盆の行事として「灯篭流し」が行われるようになりました。
相模川に無数の灯篭が流れる光景は、地域の新しい風物詩となっています。
*『太田道灌状』『鎌倉大草子』にその名が見える。文明9年(1477)頃に構築されたものと推測される。(平成さがみはら風土記稿より)
新編相模國風土記稿による能徳寺の縁起
(磯部村)能徳寺
能徳寺
磯平山と號す、曹洞宗(下溝村天應院末)開山寛應(天正八年九月廿一日卒、)本尊觀音、慶安二年八月寺領七石六斗餘の御朱印を賜ふ、
鐘樓。延寶八年の鐘を掛、
白山社、石神社、辨天社(新編相模國風土記稿より)
能徳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿