金澤山勝源寺。青面金剛王像・六本庚申
勝源寺の概要
曹洞宗寺院の勝源寺は、金澤山と号します。勝源寺は、村民伊右衛門(寛永10年1633年没)が開基となり、笑山充誾(寛永5年1628没)が開山したといいます。当寺の青面金剛王像は、六本庚申とも称され、代ほど前の住職が作ったものといわれ、明治から大正時代にかけては養蚕守護を願う参拝客で賑わったといいます。
山号 | 金澤山 |
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院号 | - |
寺号 | 勝源寺 |
本尊 | 観世音菩薩像 |
住所 | 相模原市南区磯部2111 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
勝源寺の縁起
勝源寺は、村民伊右衛門(寛永10年1633年没)が開基となり、笑山充誾(寛永5年1628没)が開山したといいます。
平成さがみはら風土記稿による勝源寺の縁起
勝源寺は、磯部のバス停「勝坂入口」より東北へ500mにある曹洞宗の寺院です。
『風土記稿』によれば、竜鳳寺(厚木市小野)の末寺で、山号を金津山といい、千手観音を本尊としています。
また同書では、開山を笑山充誾(寛永5年(1628)没)、開基を伊右衛門(寛永10年(1633) 没)としています。
当寺には「六本庚申」と呼ばれる青面金剛像が安置されています。これは5代ほど前の住職が作ったものといわれ、明治から大正時代にかけては養蚕守護を願う参拝客で非常に賑わったといいます。特に4月の初庚申の日には露店も並ぴ、そこで売られる「お宝」(木の校に繭などを飾ったもの)を買うと養蚕が当るといわれていました。また、当時は1000体にも及ぶ小型の青面金剛像があり、養蚕農家ではこれを借り、春から秋にかけて各家に祀ったといいます。しかし、これは関東大震災によりことごとく壊れてしまい、現在では残されていません。
この「六本庚申」の信仰は、養蚕がこの地の主要産業であったことを物語るものです。
また、江戸時代には当寺でも寺小屋が開かれ、児童の教育の場として利用されていました。(平成さがみはら風土記稿より)
新編相模國風土記稿による勝源寺の縁起
(磯部村)勝源寺
金澤山と號す、同宗(曹洞宗愛甲郡小野村龍鳳寺末)本尊千手觀音、開山笑山充誾(寛永五年二月七日卒、)開基は村民なり(伊右衛門と稱す、寛永十年十月十八日死、)
白山社、稲荷社(新編相模國風土記稿より)
勝源寺の大青面金剛王について
青面金剛尊は、仏法の守護神として知られる帝釈天の使者とも言われ、病魔・災難を除く神として、また、民間に盛行した「庚申信仰」の本尊として信仰されてきました。
当山に祀られている青面金剛像は、「六本庚申」又「千体庚申」ともよばれ、養蚕に効験のある庚申様として広く信仰を集めました。現在、お像脇に納められている焼物nミニチュア像も、往時は千体あったと伝えられています。
人々は、養蚕の始まる頃に参拝し、ミニチュアの像を借りて家に祀り、養蚕が終わるとお参りし、お像を納めました。
四月の庚申の日あたりに行なわれたお祭りには、露天が出され、大神楽が行われるなど、近隣はもちろ遠方からも大勢の人が参拝に訪れ、賑わいました。
ここ勝坂周辺には、庚申塔が数多く建てられており、六本庚申との深い関わりがあることがうかがわれます。
平成二十二年五月 金澤山勝源寺(境内掲示より)
勝源寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿