国分山安楽寺、高尾山薬王院3世源尊開山
安楽寺の概要
真言宗智山派寺院の安楽寺は、国分山蓮乗院と号します。安楽寺は、に義清が蓮乗院安楽坊と号して応安年間(1368-1375) に創建、高尾山薬王院3世源尊が永享4年(1432)に開山したといいます。
山号 | 国分山 |
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院号 | 蓮乗院 |
寺号 | 安楽寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
住所 | 相模原市中央区上溝592 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安楽寺の縁起
安楽寺は、に義清が蓮乗院安楽坊と号して応安年間(1368-1375) に創建、高尾山薬王院3世源尊が永享4年(1432)に開山したといいます。
新編相模国風土記稿による安楽寺の縁起
(上溝村)安楽寺
新義眞言宗(武州多磨郡高尾山薬王院末)國分山蓮乗院と號す、本尊彌陀、開山源尊(永享五年二月廿三日卒)(新編相模国風土記稿)
平成さがみはら風土記稿による安楽寺の縁起
安楽寺は、]R相模線田番駅より北東500mにある真言宗の寺院です。
『風土記稿』によれば、薬王院(八王子市高尾)の末寺で、山号を国分山蓮乗院といい、阿弥陀如来を本尊としています。
また、開山を源尊(永享5年(1433)没)としています。
これについて伝承では、その開創は応安年間(1368~75) に義清によって蓮乗院安楽坊として開山され、その後永享4年(1432) に薬王院3世源尊により、伽藍を持つ国分山安楽寺として開かれたと伝えられています。
正保3年(1646)、火災にあい本堂は焼失しましたが、その後、第四世昭如によって再建されました。現在、山門の前に4体の地蔵が並んでいますが、その中には安永7年(1778) に昭如が寺の無事を祈って造ったと伝えられるものがあります。
また、『風土記稿』には「諏訪社安楽寺持」とあります。これは現在、番田地区にある諏訪神社のことかと思われますが、寺伝では、義清が村の鎮守として至徳元年(1384) に勧請してきたものだとしています。
当寺でも、江戸時代末期には寺小屋が開かれ、教育の場として利用されていました。(平成さがみはら風土記稿より)
安楽寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿