聲音山観心寺。武相観音札所31番
観心寺の概要
時宗寺院の観心寺は、聲音山と号します。康安元年(1361)遠藤左近景宗が創建、慶長19年(1614)には中島・落合の両氏らが開拓した当地に移転したと伝えられます。武相観音札所31番です。
山号 | 聲音山 |
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院号 | - |
寺号 | 観心寺 |
本尊 | 聖観世音大菩薩 |
住所 | 相模原市南区当麻774 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 武相観音札所31番 |
観心寺の縁起
観心寺は、康安元年(1361)遠藤左近景宗が創建、慶長19年(1614)には中島・落合の両氏らが開拓した当地に移転したと伝えられます。武相観音札所31番です。
平成さがみはら風土記稿による観心寺の縁起
観心寺は、当麻のバス停「観心寺前」のすぐ前にある時宗の寺院です。
『風土記稿』によると、無量光寺(本市当麻)の末寺で、運慶の作とする聖観音菩薩を本尊としています(実際の製作者は不詳)。また、山号は聲音山といいます。
同書所収の寺伝によると「いつの頃かこの地に信州松本の浪士で遠藤左近某という者がいた。ある日相模川で網を仕掛けていると、聖観音菩薩像が掛かってきた。よって信仰心に目覚め、無量光寺8世良光のもとで剃髪をし、珠阿弥観心と号して康安元年(1361)に本寺を開き、この像を安置した」等のことを伝えています。
地域の伝承ではさらに内容が詳しくなり、開山の遠藤左近景宗はもともとは後村上天皇の滝口(滝口詰所武士)であり、吉野山から信州松本を経て、無量光寺に入山したとしています。ここで前述したように観音像を取り上げ、当初は自宅を堂字にして安置していました。やがて観音像は何代か後には観心という僧に守られるようになり、さらに慶長19年(1614)には中島・落合の両氏らがこの地を開拓し、堂字も移されてきたと伝えられています。
本寺は武相観音札所31番であり、毎年10月の9・19・29を縁日としています。よって「三九日観音」と呼ばれることもあります。(平成さがみはら風土記稿より)
観心寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿