福寿山幸延寺。大谷伊織開基
幸延寺の概要
日蓮宗寺院の幸延寺は、福寿山と号します。幸延寺は、善巧院日旭(弘治3年1557年歿)が開山、大谷伊織(天正16年1588年歿)が開基となり創建したといいます。
山号 | 福寿山 |
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院号 | - |
寺号 | 幸延寺 |
本尊 | 三宝祖師像 |
住所 | 相模原市南区鵜野森2-32-2 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
幸延寺の縁起
幸延寺は、善巧院日旭(弘治3年1557年歿)が開山、大谷伊織(天正16年1588年歿)が開基となり創建したといいます。
平成さがみはら風土記稿による幸延寺の縁起
幸延寺は、JR横浜線町田駅より北西へ500m、境川にかかる幸社寺橋の近くにある日蓮宗寺院です。
『風土記稿』によると、妙本寺(鎌倉市)の末寺で、山号を福寿山といい、三宝祖神と鬼子母神を本尊としています。
また、開山は善巧院日旭〔弘治3年(1557)没〕としています。
これについて寺伝では、創建は天文2年(1533)で、開基は大谷伊織〔天正16年(1588)没〕であったと伝えています。
昭和11年、当寺の近くの畑から、木箱に入った2万枚にも及ぶ多量の古銭が発見されました。これは現在、寺宝として保管されていますが、開基であった大谷伊織は北条氏直の家臣であり、小田原城落城の際にこれを持って逃走してきたものだと伝えられています。
ただし、それでは伊織の没年と天正18年(1590)の小田原城落城の年と食い違いが生じてしまうため、古銭を埋蔵したのは伊織の子喜右衛門ではないかとの見方もされています。
境内には金色大明神と愛敬稲荷が廊巳られています。この金色大明神は養蚕の神であると同時に黄金が実るということで、付近の農家の人たちによって元巳られているものです。(平成さがみはら風土記稿より)
相模原市観光協会掲示による幸延寺の縁起
幸延寺
この寺は山号を「福寿山」といい、日蓮宗鎌倉妙本寺の末寺です。本尊として三宝祖師と鬼子母神を安置し、善巧院日旭師によって開山されたといわれています。この寺には現在たくさんの古銭が収蔵されています。これは戦前に寺の近くの旧家で発見されたもので、開元通宝(621年)から朝鮮通宝(1423)までの44種類余り、約2万枚の輸入銭などです。
これは天正18年(1590年)の小田原城攻略の際に、この旧家の祖先が持参して埋めたものと伝えられています。(相模原市観光協会掲示より)
新編相模國風土記稿による幸延寺の縁起
(鵜野森村)幸延寺
福壽山と號す、日蓮宗鎌倉妙本寺末、開山善巧院日旭と云ふ、弘治三年七月二十三日寂す、三寶祖師、鬼子母神を安す。
番神堂。(新編相模國風土記稿より)
幸延寺所蔵の文化財
- 幸延寺の古銭(相模原市登録文化財)
幸延寺の古銭
戦前に桑畑から発見されたとされる古銭で、幸延寺に伝えられています。平成14年度の調査では、中国、唐の開元通宝(六二一年初鋳)を最古として、明の宣徳通宝(一四三三年初鋳初鋳)までの52種一万一八六六枚が確認されています。(相模原市教育委員会掲示より)
幸延寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿