景観寺。高座郡寒川町にある天台宗寺院

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窪田山景観寺。窪田万五郎が至徳2年再建、十一面観世音菩薩立像

景観寺の概要

天台宗寺院の景観寺は、窪田山明王院と号します。景観寺の創建年代等は不詳ながら、天平年間(719-749)に行基が創建したと伝えられます。高畠大納言の家来窪田万五郎が至徳2年(1385)に再建、窪田山と号し、江戸期には代々小泉家が当寺を守ってきたといいます。当寺本尊十一面観世音菩薩立像は、室町時代の作と推定され、寒川町重要文化財に指定されています。

景観寺
景観寺の概要
山号 窪田山
院号 明王院
寺号 景観寺
住所 高座郡寒川町一之宮1-18-15
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



景観寺の縁起

景観寺の創建年代等は不詳ながら、天平年間(719-749)に行基が創建したと伝えられます。高畠大納言の家来窪田万五郎が至徳2年(1385)に再建、窪田山と号し、江戸期には代々小泉家が当寺を守ってきたといいます。

新編相模国風土記稿による景観寺の縁起

(中瀬村)
景觀寺
窪田山と號す、天台宗(大住郡一之澤浄發願寺末)本尊十一面観音、
鐘。明和七年八月鑄造
神明社
觀音堂。西國札所三十三躰の觀音模像を安ず、春日助太郎の祖父造立す、(新編相模国風土記稿より)

「寒川町史10別編寺院」による景観寺の縁起

景観寺
天台宗。山号は窪田山、院号は宝珠院。天和三年(一六八三)に本堂を修築した際の棟札(景観寺蔵)によれば、「大日本国相州高座郡一之宮庄窪田山景観寺、本尊十一面観世音、刻彫者行基菩薩御造立、同御堂御建立天平年中成就、云云」とあり、開山は行基、開創年次は天平年間(七一九~四九)と伝えられている。しかし、その後の沿革も含めて細かな寺歴については不明な部分が多い。ただし、至徳二年(一三八五)高畠大納言の家来窪田万五郎が再建したのを契機に窪田山と号したこと、慶長十年(一六〇五)二月に中瀬在の小泉久左衛門が寺を建立して以来代々小泉家が当寺を守ってきたこと(伊勢原市教委員会『木食僧の寺-一の沢浄発願寺』伊勢原市文化財調査報告書第五集)なども、当寺の由緒を考える上での手掛かりになると思われ、さらに慎重に検討する必要があろう。なお前掲棟札には、天文五年(一五三六)三月・慶長十年二月・延宝四年(一六七六)八月の三度にわたる御堂修造についての記述がある。また本尊十一面観音(同寺蔵、町指定重要文化財)は行基みずからの手によるものとの伝説を載せている。
本寺は大住都日向村(伊勢原市)一之沢の浄発願寺で、一之宮村の如是庵(現廃寺)も同じ末寺であった(天保十二年「扶桑台宗本末記写」天台宗宗務庁蔵)。(「寒川町史10別編寺院」より)


景観寺所蔵の文化財

  • 景觀寺本尊十一面観世音菩薩立像(寒川町指定重要文化財)
  • 宝篋印塔

景觀寺本尊十一面観世音菩薩立像

室町時代の作と推定される。座高一〇五・三センチメートル、木造割矧玉眼。(寒川町教育委員会掲示より)

宝篋印塔

景觀寺の僧回国行者念求は享保八年(一七二三)から三年半をかけ全国の霊場を行脚して、願文や四百もの社寺の巡礼帳を塔内に納めた。
享保十二年(一七二七)七月十日願いが成就してこの塔は建立された。(寒川町教育委員会掲示より)

景観寺の周辺図