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如日山妙光寺。高座郡寒川町にある日蓮宗寺院

妙光寺の概要

日蓮宗寺院の妙光寺は、如日山と号します。妙光寺は、僧日念が開基となり天文元年(1532)に創建、唯常院が開山したといいます。

妙光寺
妙光寺の概要
山号 如日山
院号 -
寺号 妙光寺
住所 高座郡寒川町一之宮1-24-35
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙光寺の縁起

妙光寺は、僧日念が開基となり天文元年(1532)に創建、唯常院が開山したといいます。

新編相模国風土記稿による妙光寺の縁起

(一之宮村)
妙光寺
如日山と號す、日蓮宗鎌倉妙本寺末、本尊三寶諸尊を置く、開山は唯常院と云ふ。(新編相模国風土記稿より)

「寒川町史10別編寺院」による妙光寺の縁起

妙光寺
日蓮宗。山号は如日山。本寺は鎌倉妙本寺。『新編相模国風土記稿』には開山は唯常院とあり、また文政七年(一八二四)一之宮村明細帳によれば、「開山唯常院、開基名前相知不申候、縁起・宝物・古器・書画等無御座候、什物日用之品々ニ御座候」とあり、開基の名前が不明であるとしている。ただし、「社寺明細帳」の記載によれば、「天文元年七月十五日僧日念開基創立ス」とあることから、開創年次もこの時と考えられる。中興開基として理性院日随の名がみられる。いつごろからかは定かではないが、文久二年(一八六二)まで無住の時期があったらしく、同年四月貞祐が住職を引き受けた旨の請書を、本山妙本寺に提出している。
享保十四年(一七二九)の明細書上には、寺地として境内二四〇坪、客殿、庫裡のほか、当寺支配の社殿として若宮八幡(現一之宮八幡大神)および稲荷社があったと記されている。また荒神森・大六天森・城山稲荷森・上ノ諏訪森・下ノ諏訪森といった社木を有していた。天明六年(一七八六) 「書上」によれば、課税対象となる百姓持の年貢地として、寺内六畝余のほか上田二反・中畑二反二畝・下々畑二畝・松山林二畝があった。檀家数は享保十四年は二八軒、天明六年には三〇軒であった。その後、明治に入ると境内地は四一六坪となり、境外所有地として一之宮村字尾崎戸・天神下・菅田・笠屋・下川原・中川原・鳥居戸・上川原の八か所に計五反六畝の耕地を所有していた。)。地租改正時の「田畑其外反別取調帳」(木村賢二氏蔵)には、寺地として一反三畝二六歩が登録されている。
元禄二年(一六八九)一月、寺院坊舎に女人を抱え置かない旨を誓約した手形を、本山妙本寺に提出した。手形には「先年寛文五年仰せ渡され候御条目の通り、たとえ親類たりといえども寺院坊舎に女人一切抱え置くべからず候」とあり、寛文五年(一六六五)のいわゆる諸宗寺院法度に規定された法度の遵守をうたったものであることがわかる。
本尊は三宝本尊(当寺蔵)。日蓮宗独特の本尊で、宝塔を中心に左右には合掌の釈迦・多宝両如来坐像を配した、いわゆる一塔両尊とよばれる形式である。また木造日蓮上人坐像は江戸時代前期の作とみられ、台座裏墨書銘によれば文政十年仏師古川左京が、本尊をはじめ諸尊を修理したことが記されている。ほかに木造釈迦如来坐像、木造四室長立像四軀、木造鬼子母神立像一軀、木造十羅刹女立像四軀および一〇軀の二組、木造三十番神立像三〇軀、木造清正公坐像一軀がある。また絵画としては、天保十四年とされる不動明王坐像および二童子像二幅、江戸時代の模本ながら日蓮上人の筆によると伝えられる曼荼羅本尊一幅、本山妙本寺の第二六世日芳の筆による正徳元年(一七二)作の曼荼羅本尊一幅が現存している。(「寒川町史10別編寺院」より)


いいお墓

妙光寺の周辺図