金剛寺。小田原城主大森信濃守氏賴開基
金剛寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の金剛寺は、祥龍山と号します。金剛寺は、極楽寺第二世季高法雲和尚が応永元年(1394)に開山、その後小田原城主大森信濃守氏賴(法名寄栖菴玉峯院日昇明昇、明応3年1494年卒)が伽藍を整備し開基したといいます。
山号 | 祥龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 金剛寺 |
本尊 | 延命地蔵菩薩像 |
住所 | 南足柄市狩野433 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金剛寺の縁起
金剛寺は、極楽寺第二世季高法雲和尚が応永元年(1394)に開山、その後小田原城主大森信濃守氏賴(法名寄栖菴玉峯院日昇明昇、明応3年1494年卒)が伽藍を整備し開基したといいます。
「南足柄市史」による金剛寺の縁起
狩野村金剛寺
同寺は、一五世紀後半に小田原をはじめ、西相模一帯を支配した大森氏頼が開基した寺院である。氏頼は寄栖庵とも号し、曹洞宗最乗寺の創建にも深くかかわった。同寺を開山した季高和尚は、本寺極楽寺の第二世住職である(『風土記稿』)。(「南足柄市史」より)
新編相模國風土記稿による金剛寺の縁起
(狩野村)
金剛寺
祥龍山と號す、(前寺末:極楽寺末)、應永十八年の起立にて、開山は季高(本寺二世應永十八年九月九日寂、)、開基は大森信濃守氏賴(法名寄栖菴玉峯院日昇明昇、明應三年八月廿六日卒す、)と傳ふ(按ずるに氏賴應永十八年に當寺を開基せしと云は時代大に違へり、恐らくは應永已後の起立にて、季高は招請開山なるべし、)中興大心(寶暦十四年十二月八日寂す)、地蔵を本尊とす、
△觀音堂。聖觀音を安ず、
△秋葉社(新編相模國風土記稿より)
金剛寺の周辺図
参考資料
- 新編相模國風土記稿
- 「南足柄市史」
- 公式サイト:臨済宗 祥龍山金剛寺