四ッ谷日枝大神。斎藤龍興の遺臣四名が当地四ッ谷を開拓した際に氏神として創祀
四ッ谷日枝大神の概要
四ッ谷日枝大神は、座間市四ッ谷にある日枝大神です。日枝大神は、織田信長に敗れた美濃国(岐阜県)の斎藤龍興(道三の孫)の遺臣四名が当地四ッ谷を開拓した際に氏神として祀り元亀年間(1570-1573)に創建したといいます。
社号 | 日枝大神 |
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祭神 | 大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮、稲荷社、諏訪社、秋葉社、三峰社 |
祭日 | 例大祭4月17日 |
住所 | 座間市四ッ谷479 |
備考 | - |
四ッ谷日枝大神の由緒
日枝大神は、織田信長に敗れた美濃国(岐阜県)の斎藤龍興(道三の孫)の遺臣四名が当地四ッ谷を開拓した際に氏神として祀り元亀年間(1570-1573)に創建したといいます。
新編相模国風土記稿による四ッ谷日枝大神の由緒
(四ツ谷村)山王社
村の鎮守なり例祭七月二十一日浄土寺持。
末社。諏訪、稲荷二、秋葉、三峯。(新編相模国風土記稿より)
座間市教育委員会掲示による四ッ谷日枝大神の由緒
日枝大神(ひえだいじん)
当社の創建は、元亀年間(一五七〇〜一五七三)と伝えられています。
創建者は織田信長に敗れた美濃国(岐阜県)の斎藤龍興(道三の孫)の遺臣四名で、この地を開拓し祭神を四ッ谷の氏神として祀ったと伝えられています。
宝暦十三年(一七六三)に火災にあい、七十八年後の天保十二年(一八四一)に再建、棟札に「山王大権現」と記され、手水石や諏訪社の祠の奉納年号から見ると、社域もこのころから整えられてきたようです。
明治二年(一九三四)五月、社殿再建と共に神楽殿も完成し、外郭も整ったところで、当時の東京府麹町の日枝神社より新たに分霊し、社号も同年十月に「日枝大神」に改め現在にいたっています。(座間市教育委員会掲示より)
四ッ谷日枝大神の周辺図