浄土寺。相模七福神の恵比寿、四ツ谷村民市兵衛開基
浄土寺の概要
浄土宗寺院の浄土寺は、心光山往生院と号します。浄土寺は、四ツ谷村民市兵衛(元和2年1616年没)が開基、願誉門悦(元和5年1619年寂)が開山となり元亀年中(一五七〇年頃)四ッ谷村三屋に創建、相模川の洪水により当地へ再建したといいます。相模七福神の恵比寿です。
山号 | 心光山 |
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院号 | 往生院 |
寺号 | 浄土寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
住所 | 座間市四ツ谷489 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 相模七福神の恵比寿 |
浄土寺の縁起
浄土寺は、四ツ谷村民市兵衛(元和2年1616年没)が開基、願誉門悦(元和5年1619年寂)が開山となり元亀年中(一五七〇年頃)四ッ谷村三屋に創建、相模川の洪水により当地へ再建したといいます。
新編相模国風土記稿による浄土寺の縁起
(四ツ谷村)浄土寺
心光山、往生院と號す、浄土宗武蔵國滝山大善寺末、開山願誉門悦元和五年九月二十九日卒、開基は村民なり市兵衛と稱す元和二年十二月二十六日死、本尊弥陀。
疱瘡神社。地蔵堂。(新編相模国風土記稿より)
座間市教育委員会掲示による浄土寺の縁起
このお寺は、浄土宗大善寺(八王子市)の末寺です。元亀年中(一五七〇年頃)、四ツ谷村民市兵衛の創建にかかわり、開山は願誉門悦、本尊は阿弥陀如来(脇士は観音・勢至両菩薩)です。
お寺は初め、四ッ谷の三屋の西側にありましたが、相模川の洪水のため流失し現在地に建立されました。その後、宝暦十三年(一七六三)類焼の災いにあい、八年後の明和八年、本堂と庫裏を再建したといい、現在にいたっています。(座間市教育委員会掲示より)
浄土寺所蔵の文化財
- 寺子屋師匠 保田安兵衛の供養塔(座間市指定重要文化財)
寺子屋師匠 保田安兵衛の供養塔
この碑は座間市内では寺子屋の様相を知る資料としては最も古い資料の一つです。
寺子屋師匠保田安兵衛(因幡国=鳥取県出身)にかかわるもので、生前の師匠の徳をしのび、教え子の筆子たちが七回忌にあたる宝暦八年(一七五八)に建立したものと思われます。(座間市教育委員会掲示より)
浄土寺の周辺図