西徳寺。横須賀市鴨居にある浄土宗寺院
西徳寺の概要
浄土宗寺院の西徳寺は、東光山無量壽院と号します。西徳寺は、法誉順性上人が永禄3年(1560)に開山、真言宗の源徳寺、浄土真宗の無量庵、浄土宗の東光寺、及び寿経寺の四ヶ寺を併合し、東光山無量寿院西徳寺と号したといいます。
山号 | 東光山 |
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院号 | 無量壽院 |
寺号 | 西徳寺 |
住所 | 横須賀市鴨居2-20-4 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西徳寺の縁起
西徳寺は、法誉順性上人が永禄3年(1560)に開山、真言宗の源徳寺、浄土真宗の無量庵、浄土宗の東光寺、及び寿経寺の四ヶ寺を併合し、東光山無量寿院西徳寺と号したといいます。
新編相模国風土記稿による西徳寺の縁起
(鴨居村)西徳寺
東光山無量壽院と號す、浄土宗(鎌倉光明寺末)本尊彌陀を安ず、開山法譽順性(永禄三年三月十四日寂す、)と云ふ、
鐘楼。鎮名は十七世實譽が記する所なり(銘文年紀を載せず、實譽は寛政中の寺主なり、)
淺間社
觀音堂(新編相模国風土記稿より)
境内掲示による西徳寺の縁起
西徳寺
鎌倉の光明寺の末寺として、永禄三年(一五六〇)法誉順性上人により開かれました。
当時、真言宗の源徳寺、浄土真宗の無量庵、浄土宗の東光寺、及び寿経寺の四ヶ寺を併合し、東光山無量寿院西徳寺と、改められました。
境内には、三浦一族の武将、和田義盛が出陣に際し、戦勝を祈願したと伝えられる「和田地蔵」が祀られています。
裏山には、義盛の剃刀塚や幕末期に江戸湾の防衛のために、この地に来た会津藩士の墓十一基があります。(境内掲示より)
西徳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿