龍谷山良長院。泊浦に創建
良長院の概要
曹洞宗寺院の良長院は、龍谷山と号します。良長院は、徳川家康の関東入国後に沼間へ移転した海寶院(当地にあった時には良長院)のあった泊浦に、僧呑高が正保年間(1645-1648)に創建、海寶院2世靈屋和尚を招待開山とし、海寶院の旧号から良長院と号したといいます。
山号 | 龍谷山 |
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院号 | 良長院 |
寺号 | - |
住所 | 横須賀市緑が丘2 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
良長院の縁起
良長院は、徳川家康の関東入国後に沼間へ移転した海寶院(当地にあった時には良長院)のあった泊浦に、僧呑高が正保年間(1645-1648)に創建、海寶院2世靈屋和尚を招待開山とし、海寶院の旧号から良長院と号したといいます。
新編相模国風土記稿による良長院の縁起
(横須賀村)良長院
龍谷山と號す、曹洞宗(沼間村海寶院末)本尊釋迦本寺海寶院は古へ當所に在て良長院と號せり、御入國の後かの寺沼間村に移、則改號す、正保中に至り、僧呑高此地に一宇を建、海寶院の舊號を襲ひ且同寺の末に屬し本寺二世靈屋和尚を(寛永八年七月二十九日卒、)招待開山となし、己れは第二世に居れり、(呑高、天和三年五月廿八日卒、)客殿に良長院笑山賢公居士と記する木牌及其肖像を置(龕の裏書に良長院殿御影の修復、呑高和尚依思召、施主後藤五郎兵衛天和二年壬戌とあり、)是蓋開基の人ならん、
△山王社
△金比羅社
△十二神合祠。白山龍天稲荷白髭諏訪辨天神宮春日八幡熊野石尊を祀る、
△鐘樓。寶永二年の鐘を懸、(新編相模国風土記稿より)
良長院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿